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「AIに聞いてみた/超未婚社会」を見て

‘水仙’ テーマに関係ない写真ですみません。
水仙2019


結婚しない理由は男女それぞれ、いろいろで、そのことについて、個人にとやかく言う権利は誰にもないし、この番組でも、とやかく言っていません。でも、結婚したいのにしてない、という人が多くなった結果、日本の人口が減っているという社会現象について、考えてみたという番組でした。

データの詳しいことについては、HPで。
結婚ネットワーク図(結婚したい男女の、1年後の結果)から、男性にとっては、アクティブになるかどうかで、結婚に至るか至らないかの傾向がわりとはっきり示された反面、女性にとっては、結婚に至る至らないの生活や行動パターン傾向の差は、紙一重でした。

女性の生きづらさが表れているのかもしれない、という話題の中で、マツコさんが言っていました。
「いままで男女平等は男性のように女性がなることだった。女性にとって生きやすい、【女性の立場に立った男女平等】があるはず。」
ほんとにそのとおりで、マツコよく言ってくれた。平成も暮れようとしているけど、そうなるのは、まだまだ、遠い道程だと思う。

あと、アクティブになれない男性というのも、もしも経済的に自信がなくて、諦めた生活行動をしているのだとすると、けっこうこれも、「じゃあアクティブになればいいじゃん」というような、簡単なものではないように思いました。何かを我慢したり、諦めたりしているうちに、もう望んでたかどうだかわからなくなっちゃうんですよね。希望薄なことに欲望を持つのは辛いんです。

また、「今後人口が減ることが、本当に悪いことなのか。数十年後、人口5000万人くらいの、コンパクトな国になってもよくないか。」とのマツコさんの問いかけに、ゲストの筒井先生が
「政治は、衰退を語れない」
って言ってたのが衝撃でした。
衰退ワードが出てくると「不謹慎」とか言われるからなんじゃないですかね。
その結果、後手後手、どろなわ。そして今。

この番組は、考えるきっかけであって、AIがなにか正解を出してくれるわけではないので、見終わるとモヤモヤもしますが、マツコと有働さんのコンビは堅苦しくなく、構えずに見られるので、毎回見ています。

あと半月ほどで、新しい元号になるけど、次の時代が、未婚でも既婚でも、男女どちらでも、お互いの認識を変えながら、少しでも希望が持てる時代になるといいなと思っています。

| 日記・つぶやき diario | 15:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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個人的に平成を振り返る

‘神社の椿’
神社の椿2019
Una flor de camelia en un santuario sintoista

新年から、あれよあれよという間に時が過ぎ、週明けにはもう、新元号が発表されますね。
そうすると、世の中は一気に新しい時代に向けた話題になっていくのでしょうか。
その前に、自分なりの平成を振り返ってみようかと思っているのですが、さて、できますやら。30年って、長いんですよね。

昭和から平成への変わり目のことを思い出そうにも、あまりちゃんと思い出せませんが、昭和天皇崩御による改元の時は、今のような、今上天皇へのねぎらい感とか、新時代への期待感を前面に、というのは無理なことでした。今のテレビ番組に見られるような、いろんな切り口の「平成の総括特集」は、名残惜しむ余裕っていうんですかね。それらを見るにつけ、前とは違うことを実感します。憂慮される問題さえなければ、このような改元も悪くないかもと思いました。

「平成とはどういう時代だったか」は、誰かがいろいろな立場から検証してくれるのでしょうが、個人的に自分で振り返った平成は、ひとくちで言うと、仕事を覚えて経済上の自立をしたことと、精神的に大人になっていった時代でした。まあ、わたしと同じくらいの世代の人だと、多くはそうなるでしょうね。
平成年間で、バブル崩壊から2000年代前半のことは「失われた10年」と言われていました。わたしにとっては、その10年は、失望感もまだまだぬるいもので、その後の10年以上のほうが、もっと厳しい波風に晒されました。
思い返してみると、小泉内閣で成立した派遣法が、その後の自分に打撃を与えたんだな、と思います。当時は、「そんな働き方もあるのか」くらいに思っていて、一時的な稼ぎのイメージが強かったし、おそらく正社員に対して、派遣社員のイメージも、よい感じではなかったと思うんですよね。でも、いまや40%以上が非正規雇用の世の中で、当時こうなることがわかっていたら、あれは、ほんとはデモや暴動くらい起こってもおかしくないくらいの大転換だったと思います。
その後の安倍内閣で、雇用促進とかで最近「労働契約法」やら「派遣法改正」が施行されたけど、これが全くのザル法で、いくらでも企業に逃げ道があるので、意味ない…ていうか、むしろ悪いかもしれない。

でも、その、失われた20年間の後半に鍛えられて、少しは精神的に大人になったのかな、と思います。(あくまでも個人内比。他人と比べれば、そんなに大人じゃない。)
自分の「不機嫌」には、他人からのマイナスポイントがもれなくたまってて、普段それは見えないが、何かあったときには見える形で一気に自分にダメージを与えることを身をもって知ったり。
わりと白黒はっきりさせないと気が済まない性分でしたが、今では、そう思うのも自分のエゴかな、と思うようになったことなど。
そして、あまり、他人と自分を比べなくなりました。勝ち組の話なんかはどうでもよくて、負け話のほうに人間性の深みというか、魅力を感じるようになりました。…うーん、これは単に年をとったということなのかもしれないですけどね。

平成のネット時代の幕開けから、とにかくスピードが求められる時代になり、氾濫する情報に踊らされがちな割には、キーワードを知らないところには辿り着けない狭さ。
そういうのに時々辟易しますが、なるべく広い視野を持って、決めつけず寛容でいるように注意していきたいです。
ここ数年、パワハラ(セクハラも含む)問題とかが取りざたされているニュースを見ると、これまで声を上げられなかった人たちが上げるようになり、それに対して「えっ、今まではそれで問題なかったじゃん…なんで今」とでもいいたげな、狼狽した加害者たち、という構図を多く見かけるようになりました。わたしの中では、「やっと昭和が終わって行くのかな…」という感想です。平成も終わりになって、その前の昭和が薄められていく感じ。そのくらい、人は変わらないのかも。
わたし自身はあまり明るい展望も持っていませんが、次の時代が、少しでも明るい時代になるといいなと願っています。

| 日記・つぶやき diario | 11:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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今日の陶芸

‘黄水仙とフリージア’
黄水仙とフリージア2019
Narcisos amarillos y freesias

今回は、上がってきたものも特になかったので、過去に作った花入れに、今旬の花を活けたものでもごらんください。
ここのところ、気温が20℃くらいまで上昇したかと思うと、12℃くらいにしかならない日があったり、天気も不安定で、何を着たらいいのかよくわからない日が続いています。この土曜日も、晴れた空の向こうに黒い雲があり、急に雨が降ること数回。
思ったより寒くないと思いましたが、陶芸をするにあたっては、本当に粘土が乾かない日でした。

前回、作陶を失敗した土がドロドロの状態で1kgほどあったので、これに扇風機を当てました。そうしながら、手許にあった九谷土で、小鉢をひとつ、電動ろくろで作りました。磁土は薄くつくるのが難しいですが、手応えとしてはまあまあかな。ひび割れなければ。
そのうち、乾かしていた土が、少し固くなってきました。練ってみると、柔らかめではあるものの、電動ろくろなら作陶できるかも、と思い、浅鉢を作り始めましたが、これが大失敗。やっぱり、柔らかすぎたか。焦ったらダメですね。
結局、またドロドロ状態に逆戻りになり、また乾かさなければならなくなりました。

こうなると、もう時間内でこの粘土を使うことはできなくなったので、白いはっさく土を1kg買いました。白い土にしたのは、はじめに磁土で作った小鉢の高台削りの作業がまだ残っていたので、道具の汚れなどで、白い肌をうっかり汚したくなかったからです。
今買った粘土で作陶をまた失敗すると、さっきのドロドロ粘土とあわせ、手持ちが2倍に膨らむなぁ…というプレッシャーを感じました。でも、はじめに作った磁土(九谷土)にくらべ、陶土は扱いやすかったので、こちらは短時間でサクサク進み、丼鉢がひとつできあがりました。
どちらも、釉薬で絵付けしようかな、と思います。できれば磁器のほうは、グリーンの釉薬でラインか菱形模様を、陶器の丼鉢は黄と青い釉薬で、できないかな、と思っています。

ほかに、前回作陶した小さなコーヒーカップに、焼貫呉須で絵付け。2つあったのですが、ひとつは取手の付け方が甘く、壊すことになりました。

| 陶芸 ceramicas | 15:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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 春の食卓

‘つくしとふきのとうの天ぷら’
つくしとふきのとうの天ぷら2019
Fritos de verduras primaverales. Pero esas no son cultivadas, sino son silvestres.

この日曜日に、やっとつくしを採りに行きました。先週末には、モクレンが良い感じで咲いていたので、もう行かなくちゃと思ったのですが、予定があったり、あいにくの雨だったりで行くことが出来ず、この休みに、もう遅いか?と思いながら、川土手に行ってみました。
たしかに、もうトウがたったものが多くて、たくさんは採れませんでしたが、それでも、天ぷらをするくらいにはなりました。
緑色に見えるのはふきのとうです。これはJAの直営店で買いました。暖かくなるにつれ、おもしろい野菜が出てくることが多いので、この時期はよく行きます。


そうなると、その店の近くにある鮮魚店をついでに覗くことがあるので、この時期、ちょっと楽しみなのが鯖です。

‘締め鯖’ 
締め鯖2019
caballa cruda, mojada en vinagre

この日は新鮮なのがあったので、締められるかどうかをお店の人にたずねて3枚に下ろしてもらいました。
普段は夕方に買い物をするので、まず食べられないし、この鮮魚店にいつも来れるわけでもないので、久々の締め鯖です。
いつもは、塩で締めて、その後昆布を浸した酢に浸けますが、今回は、野崎洋光さんのレシピだというネット情報を見て、砂糖でまず締めてから、塩で締めるというレシピでやってみることにしました。なんでも、砂糖で締めると、味がマイルドになるんだそうです。

砂糖をわりとたっぷり、冷蔵庫で40分置く。
その後洗い流して拭き、今度は塩をたっぷりめに振って1時間。
洗い流して拭き、それから酢に浸けて昆布で覆い、1時間。
(まあ、こんな時間配分じゃ、平日は絶対無理。)

近年はアニサキスが気になるとかで、気になる場合は酢に浸けたものを冷凍→解凍して食べるそうです。(冷凍しないほうがおいしいのだそうだけど)

今回、冷凍もやってみようかと思いましたが、あまり時間がなくて、30分ほどしか冷凍庫に入れられず、そしたら、凍っていませんでした。でも、これまで何度もあの店で買って、一度も危ない目には遭っていないし、まだ、寒い時期だしね。念のため、魚肉をよく見ましたが、大丈夫そうでした。

さて、味は。
びっくりするくらい、ソフトでした。あれ?酢締めだよね?ってくらい。わたしはけっこう酸っぱい味に慣れているので、少し物足りないくらいでした。ちなみに、ちっとも甘くはないです。鯖は、脂が乗っていて旨く、買ってよかったと思いました。
お店で売られている締め鯖は、長い時間酢に浸してあって、中まで白くなっていますが、自家製だと中まで酢が入らないうちに食べるので、周りが酸っぱいのは、それはそれで良いんですよね。次回は砂糖使わないかも。
でも、長時間浸したい場合があるなら、砂糖を使うレシピはいいかも。と思いました。

このほかは、春キャベツのみそ汁、春菊と春人参の白和えでした。

| クッキング mi cocina | 19:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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100分de名著-スピノザ「エチカ」

‘意思という観念は現代の神話である。’
花201902
Hubo un proglama de educación de tele sobre el filósofo Espinosa. Para mí, fue muuuuy dificil, pero creo que también es muy interesante. Aunque es pensamiento del siglo17, para pensar los problemas de discriminacion, de teoría de la responsabilidad de hoy sería útil suficientemente.


中世が終わり、今日にいたる近代化のきっかけになったのは、17世紀の政治思想や哲学なんだそうです。デカルトが登場して、数値やデータなどで「他者に絶対説明できること」を至上としてきて、ここまで来た現代。
そのおかげで世の中が発展し、その恩恵は言うまでもないけど、でも、さて、今のこの息苦しい時代は、なんなんでしょうね…
と考えた時に、スピノザの哲学を学ぶことは意義があると。
…たしか、そういうことだったか、100分で名著12月は「スピノザ」でした。
(旧年中の放送だったけど、わたしがテキストを読むのが遅くて、今これを書いています。)

わたしも年を取ってきたせいか、哲学のお話も、少しは興味がありますよ(分かりやすければ)……って。でもこれ、番組テキストから入ってたら、たぶん挫折してたの間違いなし。もちろん、原書の日本語訳など、読もうという気になるはずがありません。テキストに引用してある部分だけですら、何のことやらわかりませんでしたから。
しかし、幸いにもテレビから入ったので、担当の國分功一郎先生が、すごくわかりやすく解説してくれていまして、興味がわいてきました。いつも、このくらい分かりやすい先生だといいなー。

それでも、それをここできれいにまとめるのは、そんなに良いオツム持ってないわたしにはやっぱり難しい。
とはいえ、番組とテキストで思ったことの大部分は必ず忘れるので、ここになんでもよいから記しておき、忘れたときにまたこのブログを読むようにしたいです。で、ちょっとがんばって書いてみます。

先生曰く「わたしたちの思考とOSが違う」とおっしゃっていましたが、本当にそんな感じでした。
スピノザが考えていたことは、当時の政治にとっても宗教界にとっても、都合の悪いことばっかりで、生涯要注意人物だったとのことです。
よくもまあ、17世紀のキリスト教やユダヤ教の中に生きる世界で、「神すなわち自然」(すべてのものは、神の中にあり、わたしたちもまた、神の中のひとつの様態にすぎない)とか、すごい概念を生み出したね、と思いました。
そして、私たちが日ごろ漠然と前提としている、ものの見方がことごとく覆されます。

ざっくり書くと…

◆固定された善悪は存在しない。すべては関係性の組み合わせとしての善悪…私たちの存在の維持、活動能力を増大させるものを善、妨げるものを悪として捉える。

◇人の本質は、形によって決まらない。古代ギリシャから、見かけを本質と捉えられてきたが、スピノザは本質を「コナトゥス=自分の存在を維持しようとする力」と捉える。なんらかの刺激が働きかけてきて自分が置かれた状態が、自らになにかをするよう働きかける。その働きかけが欲望で、その欲望は本質そのものである。

■自由とは、制約がない状態のことではない。生きるものすべては、体を持つかぎり、可動範囲を持ち、有限の中で動く。
必然的な法則に従い、学びながら、だんだんとうまく動かせるようになる。これを能動的にこなせるようになるのが自由。
これを無視され、受動的に動かされる「強制」こそが、「自由」の反語である。

□他者と関わりながら生きていく限り、全くの能動にはならず、どこか必ず受動的な部分がある。全くの自由ということはありえない。
「私の意思で」「君の意思で」というが、これを自発的な「自由意志」というのは間違いだ。必ず、何者からの影響や命令を受けており、何の影響も受けていないことはありえないからだ。意思がゼロから生まれたように感じられるのは、その原因を知らないからに他ならない。自由な意志の存在は認めないが、ただし、私たちが意思の存在を「意識」することは否定しない。


ここからは、わたしが思った感想です。

◆善悪の話
善悪を固定する概念だけだと、危ういのかも。いいことをしていると信じ込んでいるヤツにかぎって始末に負えないとか。大昔、酸素は生物にとって毒だった、という話も思い出しました。

◇人の本質の話
なるほどと思ったのは、人種、性別、LGBT、障害などの差別問題ですね。本質でなく、形にどうしてもとらわれている。
あと、何か大きな問題が起こった時に、どう動くか…に見られる「欲望」っていうのが、その人の本質なのかもしれないと思いました。隠していた自分が、表出する瞬間。

■自由の話
以前、サルトルをこの番組でやったとき、わたしにとっては本当に難解で、ブログにも何も書けませんでしたが、ひとつ、持った印象があって、
「自由な他人を尊重しながら自分も自由でいるの、結構しんどそうだな。」
でした。自由に必ずついてまわる孤独の深い沼に、あなたは耐えられるか。…ってイメージです。
でも、スピノザが言う自由は、そういうのとは違いそうです。先生は、例として、表面的には同じ行為である「お金を出す」にも、能動的な善意の寄付と、受動的なカツアゲによるものを挙げて、自由と強制を解説していました。
この考えなら、いろいろ抱えて不自由そうに見えても、能動的に動くことさえできれば、自由になれそうではないですかね。
まあ、実際には、雇われの身とって、それもなかなか難しいことが多いんですけど。

□自由意志の話
特に印象的だったのが、これについて先生が挙げた例でした。つまり、ここ最近多い、自己責任論のことです。
はい、これがあなたの選択ですね。ご自分で決定されたことですから、その責任はあなたにあります。と言われるアレ。わたしはテレビやネットで、この自己責任論が出てきて、なんかモヤモヤする場合は、「自己責任で」を「オレは知らない」と訳すことにしています。「オレにキャパはないんだから、頼るなよ。」いっそのこと、そう言ってくれたほうが、潔い。
先生の話だと、自由意志という概念は、古代からあったものではないとのことで、現代は「意思教?」と思うくらい、意思というものを信仰しすぎ、もう取り憑かれているんじゃないか、と言っていました。
わたしの所感としては、自分の意志…どっちかというと意思のなさかな?…からの選択の結果、自分の人生に満足できてない部分が多くあるとしても、半分は社会環境のせいでもあると思っていて、自分と社会のどちらもを、ひどく責めていないつもりです。ただ、もしも、そこを全て自己責任にしてくるヤツがいたとしたら、お前はひとり無人島から始めて今のポジションを勝ち取ってこいや。と返したいですね。

こうして、ちょっとだけわかったこと、思ったことを並べてみましたが、スピノザが言っていることは、現代に生きる弱者にとってこそ、心強いような気がします。何かを理解する体験のプロセスを大切にした哲学なので、その後の方向には取り残された感じになってしまったのかもしれません。現代人は、近代の考え方になっているので、スピノザのOSが違うと感じるのだそうです。
でも、経済活動の大きな思惑の渦の中で、いくらでも代わりがいる単なる駒のひとつみたいな扱いを受けたり、自由意志や差別の問題など、現代人が抱える悩みのすぐそばで、この概念の存在が少しでも意識の中にあれば、もう少し豊かな気持ちで生きて行けそうな気がします。

番組のHPのまとめを読んだら、すばらしくきれいにまとめてあったので、こっちを読んで思い出したほうが、よくわかると思います。
100分de名著-スピノザ「エチカ」

| 日記・つぶやき diario | 00:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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