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生きがいとか、生きづらさとか

‘芳しいクスノキの花’ 甘く爽快な香りが初夏の訪れを告げる
クスノキの花2018
El olor de las flores de alcanforero nos anuncian el comienzo de verano. Eso es dulce y fresco.


今月のEテレ「100分de名著」は「生きがいについて」(神谷美恵子著)。
このタイトルを見たときは、あまり見たいテーマではないような気がしました。
「生きがい」があったに越したことはないでしょうが、自分自身は人に語れるようなたいしたものを持ってもいない。そもそも、わたしの生きがいはこれですと、堂々と言える人ってそんなにたくさんいるんですかね。
さらに、人から語られても困ってしまいそうな、重たそうな「生きがい」。

それでも、とりあえず第1回を見てみると、
「これはちょっと思ってたのと違う。フランクルに近い部分がある。」
と思い直し、テキストを読んでみようと思いました。
どうやら、例えば「この子(または仕事)はわたしの生きがいだ。」とかいう意味だけではないらしい。
大切なものを失ったり、悲しみに打ちのめされるときに、自分を自然の一部として包まれていると感じられる力とでもいうのか、そういう、もっと感覚的なことを「生きがい感」と呼んでいました。そういう感覚のほうが興味あります。

まだテキストも読み進んでいないので、どういう感じで進むか、これから見てみようと思いますが、今はさわり部分から思ったことだけ記します。

フランクルと共通するものがあると思ったのは当然で、著者はその影響を受けていたようです。精神科医ですしね。
彼の著書「夜と霧」の中で、明日の命もわからない、理不尽に希望をことごとく奪われた人たちが、ある日非常に美しい夕焼けが出たとき、なけなしの夕食そっちのけにしてまで、それに見とれていたお話がありました。
普段は忘れがちですが、そういう気持ちを持てることは、絶望の中にあって特に大事なんだろうなと思います。
そう思うと、こどもの時に、自然に慣れ親しんでおくことがなぜ大事なのかは明白だと思いました。ツバメを可愛いと思ったり、花の芽を観察したり、星空を見て宇宙のことを思ったりすることは、考えているよりずっと人間を助けているのではないかな。


‘光を浴びるサツキ’
スポットライトみたいに、ここだけ照らし出されていたので撮った。
サツキ2018-1
Azalea florecida



話は変わりますが、朝ドラ「カーネーション」が、ただいま再放送中です(大相撲中は休止。相撲が終わったら再開します)。
もう次にこのレベルの作品にはそうそうお目にかかれないかもしれないという、改めてすごい作品だなと思うのですが、初回放送当時、脚本の渡辺あやさんのインタビューのことばで、とても印象的なものがあったな…と、メモを見て思い出しました。

>不幸や不条理なことに立ち向かうには 
>すごく地味なことをコツコツやっていくしかない、という感じがしませんか。
>あるところに大きな救いがあって そこに自分も回収される、というのは
>絶対うさんくさいし、本物じゃない。
>小さくて地味で、一見、『これかよ』みたいなこと。

これを読んだ時は、個人的に停滞していた時期だったこともあり、なんだかすごく慰められたものです。小さくてもいいのか。できることをやろうと思った記憶があります。ごはんをちゃんと作って食べるとか、習いものに休まず行くとかでもいいよね。
小さくても、積み重ねて行った自分の事実は信じられる。結局、自ら続けてやったものだけが、ちゃんと力になるんですよね。直接自分を救ってくれるのは、他人の言葉とかじゃなくて、そういうことだと思います。
 

| 日記・つぶやき diario | 00:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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新緑の季節の食卓

‘ウルイ(オオバギボウシ)’
ウルイ2018
Esa verdura se llama Urui, verdura salvaje. Es muy raro de encontrarla cerca de mi casa, por eso compré unas y las probé.


連休中の話になりますが、料理を持ち寄って友人宅でバーベキューパーティーをすることになり、わたしもお招きに預かったので、なにか作ることになりました。だいたい、野菜料理を受け持つことが多いので、今回も、何作ろうかなと、野菜直売店に行ってみました。
はじめは、洋風のサラダでも…と思って、野菜を物色していましたが、その日に限って、和の野菜ばかり目につきました。日によって、入荷する品が違うんです。そのため、期待していたものがないこともあるし、予期しないものが手に入ることがあります。

そして今回、見つけたのが「ウルイ」。品名には「オオバギボウシ」と書いてありましたが、ウルイのことです。これは、過去一度もこの店でみかけたことがないものでした。昔、京都のごはんやさんで、一度だけウルイのお浸しをいただいたことを思い出し、「わー、これは珍しい!」と驚いて、ついたくさん買ってしまいました。
最初「洋風のサラダ…」とか言っていたのに、ものすっごい和風に転換することになってしまいました。


‘ウルイとりんごの酢みそ和え’ かがつで和えたままの写真です。ちゃんと盛れよ。
ウルイとりんごの酢みそ和え
Ensalada de urui y manzanas, sazonada con vinagre y miso.

一度も試したことがない野菜を料理して、他人の家に持って行くのは、さすがに気が引けたので、買った日の夜(当日の前夜)、自分の晩ごはんに作ってみました。やっぱり、酢みそ和えかな…。

それでは、初めて、ウルイを調理して食べてみた感想を記します。
くせがなくて使いやすい。ただ、緑の濃い部分は少し苦みがある。デパ地下などで売られているウルイが、葉っぱが薄緑色で軟白してあるようなのは、苦みをなくすためなのかもしれないと思いました。でも、苦みはあっても、そんなに気になるほどではないです。
ただ、香りはほとんどないし、数ある山菜の中で、選ぶ優先順位としては、そんなに上ではないかな。少量を淡白な味でいただくほうが、演出としては粋なのかも。今回、どっさり、強い味でつくっちゃいましたからね。


‘そらまめと三つ葉の白和え’
空豆と三葉の白和え
Ensalada de habas y mitsuba con salsa de tofu

こちらは、空豆と三つ葉の白和えです。この時期の和え物といえば、畑で育ったと思われる(どう見ても水耕栽培でない)三つ葉の香りがよいので、ウルイよりもわかりやすいおいしさかもしれません。空豆は、旨いし美しいグリーンが「夏が来たなぁ」と思わせてくれるので、よく使います。


‘ずいきのお浸し’
ずいきのお浸し
Zuiki es tallo de taro(colocasia). Fue la primera vez de comerlo para mí. Él parece esponja, así que coje caldo mucho.

これも、珍しいので、この歳になって初めて食べてみたのですが、生のずいきをゆでてお浸しにしてみました。ずいきは干しずいきもあり、それはまた、全く別の味らしいですが、それは今まで気に留めたことがないです。ずいきが里芋の茎の部分なのはわかってましたから、とりたててそんなとこを食べなくても…という気持ちもあったんですよね。
でも、生ずいきがとても安く売られているのを見て、経験として試してみようかなという気持ちになりました。
切ってみると、すごい繊維質で、断面がスポンジみたいでした。これに絵の具をつけて絵を描いたらおもしろいだろうな。そんな性質なので出汁をよく吸い込み、シャクシャクした歯触りが特徴的でした。香りはないものの、楽しい歯触り。
くせがなく、出汁の吸い込みで美味しくなる野菜といえば、冬瓜がありますが、あれと同じように使えばいいかも、と思いました。

なんだか、野菜の話が多いですが、肉と魚も食べてますよ。でも、語りたいのはどうしても季節に関係するほうです。


| クッキング mi cocina | 16:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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今日の陶芸

‘小鉢’かめ土(赤)とはっさく土のブレンド、黄瀬戸釉
陶芸180506
Hice un tazón pequeño. Usé un poco de barro mixto (rojo y blanco), esmalte amarillo oscuro.

今回は、ブレンド土で作った小鉢が上がってきました。たしか、作陶時は「鰹のヅケをもっと大きな器で」とか思って作り始めたはずですが、出来上がってみたら、たぶんこれでは盛りきれないな。
焼き縮んでしまうのはわかっているのに、どうしても見積もりが甘く、その分大きく作れない傾向があります。仕方ないので、これはこれで、1人前用の副菜などに使いたいと思います。

本日の作陶メモ:
はっさく土でマグカップを1つ。
コーヒー、紅茶は陶器より磁器で飲むのが好みなので、マグカップは、これまで磁土か半磁土で作ることが多かったのですが、これらは扱いが難しい。案の定、うまくいかないことがほとんどでした。今回、その好みを無視して陶土のはっさく土で作ったら、薄く作りやすかったです。けっこうしつこく触ってもダレない。
ただ、つい横着をして、電動ろくろの上に板を置かず、直に粘土を乗せて作ったせいで、作品を電動ろくろから移動させる際にちょっと変形してしまいました。この作業が巧い人もいらっしゃいますが、わたしはどうにもヘタなので、たいていは板を敷いて、板ごと移動させて乾かすんですけどね。
次回、空とわら白あたりで釉薬の掛け分けをしようかな。
また、前回までに作陶した花瓶に白マット釉をかけ、ぐい飲み2つにわら白釉をかけて鉄釉で絵付けをしました。掛け方は本当にヘタで自己嫌悪ですが、これがどう出ますやら。次回、上がってくるのではないかと思います。

| 陶芸 ceramicas | 00:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ディルの成長

ディルは、洋風サラダなどを作る際によく使うハーブなのですが、近所では売られていない店もあります。パスタによく使うバジルなどより、メジャーではないようです。昨年は欲しい時に手に入らなかったことが多かったので、昨秋、思いついて自宅のベランダで育ててみようと思いました。
…しかし、思いついてから実際に種が手に入るまでに少し時間がかかり、やっと植えたのが11月の後半でした。
洗濯を干したら雨が…、なんていうことがよく起こるように、わたしが種を植えたとたんに冬到来。それから少しも小春日和らしい日がないまま、それでも、ディルは10日ほどして芽生えてきました。


‘1月中旬のディル’
ディル1月
Este énero, las brotes de eneldos que sembré en el noviembre pasado aguantaban frio.

芽生えたものの、この大きさのまま1月に突入しました。これはまだ緑色ですが、この後強い寒波がやってきて、2月から3月初めまで、かなり辛い環境に晒してしまいました。この間、ディルは成長を止めてガマンしていたように見えます。透明のポリ袋をかぶせていた時期もあったけど、部屋に入れたのは1回だけで、ずっと外気に晒していたせいで、いつのまにか葉の色は茶紫色になっていました。よく、人参の葉でそういうのをみかけますが、あれって寒さに耐えた色なのかもしれないですね。水やりは控えめにしていたけど、寒い中、成長していないのを確認しては空しい気持ちになりました。11月に植えるくらいなら、3月に植えたほうが、ディルは苦しまなくてよかったし、冬中心配することもなかったですからね。


‘3月のディル’
ディル3月
En marzo, empezaron a tener hojas nuevas por fin!

3月上旬の寒波を過ぎると、やっと新しい芽を出し始めて、ほっとしました。おそらく、この時期に蒔いても、すぐにこれに追いついたとは思いますが、まあ、あれだけのストレスに耐えたんだから、きっと強く育ってくれるだろう…。


‘4月のディル’
ディル4月
En abril, ya han necesitado tener palo para apoyar el cuerpo. Ahora todavia no tienen muchas hojas, pero luego si crecen más grande, quiero utilizar las hojas para ensaladas.

4月に入ると、どんどん背が伸びて、支柱が必要になってきました。ディルは1株が大きくなるのだそうです。最初、種をまいた時は、20個くらい出た芽も、冬になって選抜し5株に、それから寒さに耐えきれずにダメになった1株をのぞき4株になっていました。
そのうち1株は弱ってしおれ、結局今は3つの植木鉢にそれぞれ1株で落ち着いています。

さて、これから、葉っぱを取って気軽に料理に使えるようになるかな…まだ、葉の数が少ないので遠慮しています。

| 日記・つぶやき diario | 23:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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週末の目玉焼き

‘目玉焼きオープンサンドのたまご’
目玉焼きオープンサンド2018
A los fines de semana, unas veces hacía bocadillos con huevo frito.

サンドイッチといえば、1年中あるのになぜか春がぴったりという気がします。ピクニックの季語が春だそうですから、外向きの気分にふさわしいのかもしれません。特に卵サンド。黄色が、太陽やミモザや菜の花を思い起こさせてくれるように思います。

サンドイッチの具の卵には、いろいろなスタイルがありますよね。以前は、いつもゆで卵をつぶして作っていましたが、さらに時間を節約して作りたいときは、炒り卵を作って具にすることが多いです。
そして、この春の週末はといえば、目玉焼きオープンサンドを数回作りました。

目玉焼きを焼くとき、いつも思うのは、火の通し方が、数秒単位で変化するような世界で、なかなか奥が深いなということです。
昔、漫画雑誌のお悩み相談室かなにかに、料理が苦手という女の子の投書で、「目玉焼きのひとつも作れないの」と嘆いている言葉があったことを記憶しているのですが、後になって思えば、目玉焼きは意外にハードルが高い。逆に、もし目玉焼きが作れるんなら、他の料理もけっこう作れるだろ、と思いますね。たまご1個だけでできる料理とはいえ、それほど簡単ではないです。

小学生のとき、キャンプ時に屋外調理場でなにか調理をする課題がありました。わたしのグループは何を作るかなかなか決まらなかったから、目玉焼きなら簡単かな?と思って、わたしがベーコンエッグを提案して、それにすることがきまったのだけど、実際やってみたら、これが本当にうまくいかなかった。普通の家のガスコンロでも、パーフェクトにはなりにくいというのに、炭で起こした火の上で、テフロン加工でもないフライパンで、小学生がやるには難し過ぎました。火の勢いがすごすぎて、熱くてフライパンに近寄れない(笑)。急いで玉子を割ったら、黄身がこわれるし。
不幸中の幸いだったのは、卵は壊れても生煮えでも火が通り過ぎても食べられる食べ物だった、ということでした。

家では、母がときどき目玉焼きを作ってくれましたが、忙しい人だったので、焼きながら注水し、フタをして蒸らす方法でした。この方法だと、早く黄身が固まるんですよね。当然わたしもその方法を受け継ぎました。
でも、そんなに目玉焼きが好きだったわけではありません。ゆでたまごも。
それは、ゆだった白身があまり得意ではなかったからなんだと、最近になって再認識しました。

昨秋くらいでしょうか、丁寧に説明してある目玉焼きの作り方をどこかで読みました。それは卵を多めの油でゆっくり焼き、蒸らさないで仕上げるやり方。とにかく、ゆっくり焼いていました。
わたしも、これまでに、蒸らさない方法で焼いたことはあったけど、黄身の固まりが弱かった。白身が焦げ付くのを怖れて、早く皿に移していました。これだと、黄身があまり固まらない。
ゆっくり焼いても、白身は大丈夫なことがわかったので、とにかく、せっかちにならずにゆっくり、を心がけることにしました。白身の周囲はキツネ色に縁取られ香ばしくカリカリに。黄身の表面はつややかな半熟だけど下側は固まっている。
これをのっけたオープンサンドに、ゆっくり淹れたコーヒーは、どちらも、気分がゆったりしていなければ作りたくないメニューです。安上がりながらも、これがなかなか豊かだと感じるのは、この気分に拠るところが大きいのかもしれません。

これに慣れると、カフェで頼んだモーニングに、レンチンして固めた目玉焼きが出てきたときなど、もはや焼かれてもいない…これを何と呼ぼうか…割ゆでたまご?と思いつつ、なんともわびしい気持ちになりますが、卵が持つ顔は、ほんとにいろいろだなぁと思います。

| クッキング mi cocina | 23:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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