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いかなごの酢漬け

“いかなごの酢漬け”
いかなごの酢漬け20210222
Ikanagos mojados en vinagre... Son pescados pequenitos, se veían frecuentemente en las pescaderías en mi infancia. Mi madre hacía este plato de cuando en cuando. Pero ahora no tengo oportunidades ver aun uno en las tiendas. Al otro día, por fin encontré unos ikanagos, me alegré mucho y luego hice el plato del recuerdo.

魚売り場でめったに見なくなった、「いかなご」を偶然見かけたので、つい買ってしまいました。
これ食べるの、何十年ぶり?というくらい食べていませんでしたが、子供の頃は、季節になると母が食べさせてくれた、思い出の魚です。それはおそらく「いかなご」の、もっと大きくなった「フルセ」のサイズで、家でゆであげ、熱々のうちに酢漬けにしていました。当時は、珍しくもない魚だったんでしょうね。母はいつもラーメン鉢一杯にどーんと作り、わたしはお腹いっぱい食べたものです。火の通った背中は、ちょっと黄色みがかっていて、身も柔らかいし、骨まで気にせず食べられるので、めんどくさい処理はなかったです。
大人になって、ときどき、無性に食べたくなる時があったのですが、ほんとにずっと食べられませんでした。

さて、今回買った、釜揚げされたいかなご(これをカマスゴと呼ぶらしいんですが)を、昔の味を思い出すべく、三杯酢にしてみました。昔の記憶の、新鮮なフルセに比べれば、大きさも質も、なんとも心許ないし、また、ゆでて冷やされた魚は、かなり柔らかくて脆かったので、熱々の状態で酢に漬けることはできませんでした。
それでも、久々の味。出会えただけでもマシかもしれません。次はいつ食べられるやら、ですからね。

ウィキを読んでみると、瀬戸内海の海砂が、コンクリートの骨材に適していたため、大量に採取されたことが、いかなごが壊滅的になる原因となった、とありました。箱物バンバン建てて、バンバン壊して消費して、お金を生み出す代わりに、自分たちの食料を自ら貧しくさせてたんですね。
幼い頃に食べていたアイナメ、シマアジ、イシダイ、グジなんかも、めっきり見かけなくなりました。釣りに行く人や、小売の魚屋が近くにあれば、まだ手に入るものもあるのかもしれないけど、多量を仕入れて売るスーパーにはそういうレアのものは扱えず、かわりに、海外のよくわかんないナマズの一種なんかが並んでいて、ちょっと悲しくなりますね。そういう大手に、小売店が潰されてきたのは、便利な方に流れたわたしたちのせいでもあるんだけど、いまさらもう増えない。
これからもっと乱獲が進んだり保護をしなかったりすれば、さらに選択肢は細っていくわけで、今のこの状況でも、まだマシなほうだったりするのかもしれない。今食べられるものは、感謝していただかなければね。

| クッキング mi cocina | 17:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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今日の陶芸

“マグカップ” 古陶細土、空釉、鉄青磁で絵付け
陶芸210211-2

陶芸210211-1

今回は、古陶細土のマグカップがひとつ、小さなアマビエ2つが上がってきました。
マグカップは、空釉と鉄青磁で丸い模様を描いたのですが、あまり流れないでとどまりました。もう1ミリくらい、下部の側面を削りたかったですけど、でも、まあまあです。たっぷりのカフェオレか、スープでも、という感じです。
これに気を良くし、素焼きで上がってきたもう2つのマグ(つる土)も、同じ釉薬で仕上げました。


“小さなアマビエ” 古陶細土、焼締め
陶芸210211-3

陶芸210211-4

アマビエは、焼締めにしたので、けっこうガサガサした感じに仕上がりました。
かわいくしたかったので、ウィンクした顔にしました。

“このくらい小さい。” つまようじと並べています。
陶芸210211-5



本日の作陶メモ:
黒御影土で大きな花入をひとつ。手びねりで作陶しましたが、けっこう土が柔らかく、ダレそうでした。並黒土にしたほうがよかったかも。そろばんのコマのような形で作りたかったので、上下お椀のような形で作り、最終的につなげる、という方法をとりました。悪戦苦闘して、時間が足りませんでした。
本当は、白化粧を象嵌的に施したかったけど、そんな時間は残されていなかったので、次回釉薬をかける際、部分的に白マット釉をかけ、そこを彫って、下の黒い地を出す予定です。
前回作陶した小さなアマビエ1つに、白マット釉をかけ、着色しました。今回上がって来たのよりは、少し雰囲気が柔らかくなる予定です。
つる土で作ったマグカップも2つ、素焼きが上がって来たので、今回できたのと同様、わら白釉に空釉、鉄青磁の模様にしました。

建国記念の日に作陶したんですけど、ちょっと、今週末いろいろあり、次回、はたして陶芸に行けるのかな……という状況になってきました。逆に言えば、今回早く行っててよかった〜、とも言えます。どうにか運気が好転して、落ち着きますように。

| 陶芸 ceramicas | 16:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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100分de名著「ディスタンクシオン」

“今年の正月花” 年越えたわ…
蘭と百合202101

テキストを読むのが遅いので、今頃になってしまいましたが、旧年最後のテーマは、ブルデューの「ディスタンクシオン」でした。100分de名著で取り上げられなければ、この本と著者の存在なんて、知らなかったと思います。ディスタンクシオンとは、フランス語で「差異」のことで、趣味嗜好が、身分階級、格差にどのくらい与しているのか、というお話でした。
本書は難しいらしく、たぶん読めないと思いました。フランス人って、すごく難しげに書く人が多いそうなんですよ。テキストは読んだので、その内容を忘れないため、ざっとまとめます。


◆ 私という社会 -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- --
・自分が、好きだから選んだと思っていた趣味や好みが、実は学歴や出身階層によって傾向付けられている。
・幼少期から、言葉遣い、身のこなし、趣味趣向といった形で植え付けられた性向(ハビトゥス)が存在する。
・出会って「稲妻の一撃」に遭ったような衝撃的な感動さえも、偶然ではなく、受けとめる素地があったにすぎない。
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ひらたく言えば、どう育ったかが、その後その人の趣味にまでどんなに影響を与え、利益・不利益を生み、格差につながっているかという話でした。これは別に、封建社会の話ではなく、ふだん意識してなかったけど、今も連綿と続いてる問題でした。
たとえば、わたしが財閥のお嬢様と、好きなものの話をしたら、世界が違いすぎて、おそらく数分持つ気がしない。文化的な素養の差は比べようもない。でも、思い入れのある趣味嗜好って、いずれの社会的身分の人にも、そこに自分のアイデンティティの一部があったりするだろうに。いやぁ、身も蓋もない話だなぁ、と思いました。


◆ 趣味という闘争 -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- --
・「これが好きだ」と選んで取り上げる趣味嗜好は、逆にそれ以外の物を否定することになる。
・人々は他者よりも少しでも優位に立とうという「卓越化」を目指して無意識に闘争し合っている。自分たちの好き嫌いや趣味を互いに押しつけあっているといってもよい。その闘争が繰り広げられる場のことを「界」という。
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テキストでは、この「闘争」を、「必死でがんばっている」の意味くらいに思ってくれ、とのことでした。好きなものを考えるのって楽しい場だし、闘争し合ってるといっても、それは無意識、無自覚なので、そのことばには違和感がありますよね。
でも確かに、同じ「界」に、自分と似たような人を認識すると、主張のひとつもしたくなる、ということはよくあると思う。無意識に闘争本能が働いているのかもしれません。
「他人よりつきぬけているオレ」とか「他人とはひと味違うオレ」を見せたくなるってことですか。

趣味の押し付け合いって、不毛なので、わたしは避けたいと思ってます。だいたい、わかってもらえないのが普通だし。年取ったので、押し付け合う体力がなくなったというのもあるかな。
そういえば昔、ネットで誰かの言葉で、(一字一句憶えてるわけじゃないけど、)いい趣味を語ることは、始末が悪い(だったかな?)、または暴力的な面があるだったかな?そういう負の側面があることを忘れるな、みたいな文を読んだことがあります。ちゃんとメモしとけばよかった。趣味人がまわりに与える、悪い面を考えもしなかったから、ハッとして、でもそうかもなぁ、と思ったんですよね。


◆ 文化資本と階層 -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- --
・私たちは身振りや言葉遣い、趣味、教養といった体に刻み込まれていく文化能力をも相続していく。
・そのように相続されたもののうち、経済的利益に転換できるものを「文化資本」と呼ぶ。
・文化資本は経済資本ほどはっきりとは目に見えないが、蓄積することで学歴や社会的地位、経済資本へと変換可能になり、大きな利益を生む。例えば、机に座るのが苦にならない環境や、参考書があったりすること。
・客観的なチャンスが存在しないところでは、主観的な野心もはじめから存在しない。
・ハビトゥスは、自分が所属する場での客観的チャンスがどのくらいあるか瞬時に、身体的に把握する実戦感覚を備えている。
・幼少期から、言葉遣い、身のこなし、趣味趣向といった形で植え付けられたハビトゥスは、行為の中に蓄積された過去の履歴なので、生まれつきではなく、知能とも関係ない。
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これってすなわち、後天的にかたち作られる、将来受け取れる文化的な栄養の容れ物の原料ということかな。


◆ 文化再生産 -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- --
・学校は、家庭で得られなかった文化資本を得られうる場で、本来階級をシャッフルできる機会のある場所だが、同時に今の階級を再生産してしまう場所でもある。
机の前でじっとしていられない子は、その習慣を自然に身につける環境になかったので、どうしてじっとしていなければならないのかわからない。
一方、幼いときから習いものなどして、机にじっとしている態度を身につけている子どもは、それが苦ではないのだから、それは自然と成績に結びつきやすい。
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この本には、「それで?ハビトゥスが生み出す格差を薄めるにはどうすれば?」という答えがなさそうなので、本当に身も蓋もなく、絶望感だけが残りそう。
それでも、この構造と構造の生成のしくみを明らかにはしてくれているので、家庭と学校教育現場の大人がそれを知り、意識するだけでも、少しは状況がマシになりませんかね。
あと、思ったのは、文化再生産されている現実を考えれば、容易に「自己責任論」を出してくるのは、やっぱりフェアじゃないよな、ということです。アドバンテージがない者に対して、お前の責任だろうと軽々しく言えますかね。

このテキストを読んで、自分の子ども時代も振り返ってみると、貧しい家だったとは思うけど、あのころの両親や近所の大人って、自分たちが幼少時代に戦争の影響で経験できなかった文化的なことを、子どもには体験してほしい、という願いが強かったんじゃないかなぁ、と思い出されます。
美術館やハイキングに連れて行ってくれたりとか、絵の具セットやピアノを買ってくれたことは、後にその分野で爆発的な才能の開花はなかったにしても、技術的なこと以外にも、まちがいなくその背後にある文化知識やセンスなど、そこで得られる世界を教わったということなんですね。
出来る範囲で、わたしを今の大人にしてくれたんだなぁ、と、このテキストを読んで、なぜか両親への感謝の念がこみ上げました。
この本は、ハビトゥスの差が生み出す階級の差のループを断じた内容なので、そういう本じゃないんですけどね。

| 日記・つぶやき diario | 01:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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SAM AMIDON by Sam Amidon



昨年、ネット経由でこのミュージシャンの存在を知りました。思い切りアメリカン・カントリーミュージックのバンジョー弾きの人のようで、そっち方面は、自分のテリトリーではない。でも使う音がおもしろいなぁ、様子見かな、買うほどじゃないな、と思っていました。
久しぶりに情報を見たら、昨秋新アルバムを出していたので、試しに聴いてみたら、なんかセンスいい。まさか、自分が、アメリカンフォークソングみたいな、バンジョー弾きの人のアルバムを買うとはね…と半ば驚きながら、ネットでポチりました。(来るまでに数週間かかった。たぶん、日本に在庫がなかったのかな。)

読めないライナーノーツの英語を、それでもちょっと読んでみると、どうも、1曲を除く全ての楽曲はトラディショナルで、古いものを、自分でアレンジしたようでした。歌詞も、古い音楽に、別の古いものをあてがったり。
自身のティーンエイジャー時代に、両親からプレゼントされた音楽や、子供のころに身近にあった曲、つまり、自分を形作った、思い入れのある音楽たちを再構成して出したアルバムのようです。
だから、アルバムタイトルも、自身の名前なんでしょうね。

古いオリジナル曲を2個ぐらい聴いてみましたが、Sam Amidonバージョンは全然違ってて、とても現代風になってカッコよくなっていました。選ばれた曲たち(1920年代や1960年代のがありました)は、例えばJ-popみたいな、AメロからBメロというような展開がなく、ほとんど同じフレーズをくりかえしているだけのものが多かったのですが、それでも、ギターやらバンジョーやらエフェクトやらがカッコいいのです。で、次の曲は同じイメージにならないように、とても考えて構成してあるなぁと思いました。流れがいい。たった9曲で、それぞれがそんなに長くないので、アルバムとしてはとても短いですが、家でずっと流しながら、本読んだり家事したり。そういうなんの変哲もない日常が、ちょっと輝いて思えるようなアルバムでした。すごくリラックスできます。

力の抜けたボーカル、楽しそうなメロディーでも、ちょっと乾いた淋しさもありますね。(わたしは本当に「乾いた淋しさ」に弱いんだな。)
英語が得意ではないので、調べる暇もないのですが、詞によってはおもしろいのがありそうです。
昔の歌でしょうね。「ジョージ・バックは死んだ。最後の言葉はこうだ。自分のパンにショートニングは入れるなよって。ジョージ・バックは死んだ。最後の言葉はこうだ。カミさんの思うようにはやらせるなよ。そうさせたら、1日中帰って来やしないだろ。」みたいなのがありましたよ。
これからゆっくり覚えていきたいと思います。(ちょっと、プライベートに暗い影がのびてきたので、できるかなぁ、でもできるだけ聴いていたいです。)
レーベルはNonsuch。このレーベル、Tigran Hamasyanもそうなんだけど、よさそうで注目したいです。

| 音楽 musica | 00:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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今日の陶芸

“古陶細土、呉須絵付けにわら白釉”
陶芸210110-2

陶芸210110-1
Hice una taza para café.

大変寒い日の陶芸。土が冷えて、氷のようでした。でも、すぐに馴染み、思ったより快適に作れました。この日生徒は私を含め2人だけで、キャンセルが数人あったそうです。やっぱり寒いからですか?と言うと、それもあるし、コロナ禍のせいもあるとのこと。地元は、今ちょっと微妙ですね。年末よりは減ったけど、もう少し減ってくれたら。

今回は、マグカップが一つ上がって来ました。最近、マグカップを作ることが多いです。というのも、完全に満足できるものができなくて、再トライしているからです。
これも、似たようなものを以前作りましたが、底の部分に問題があって使う気にならなかったので、同じ条件でやってみたものです。(呉須絵の具の色は変更しました。)
今回は、わりとうまく行きました。ただ、取手の角をもうすこし滑らかにしたかったです。持った時、ちょっと指に優しくない。

本日の作陶メモ:
先月作陶した、小さなアマビエが2つ、素焼きで上がって来たので、呉須絵の具で絵付け。焼き締め予定にしたけど、あとで、白マット掛け&絵付けすればよかったかな、と思いました。
今回、ちいさなアマビエを古陶細土でひとつ作陶したので、こいつはそうしようかな。コロナ禍が収束しなさそうなら、今後も合間の時間と余った土で作るつもり。
そして、やはり先月作陶した、大きなマグカップも素焼きで上がって来たので、釉薬で絵付けしました。わら白釉を全体にかけ、その上から空釉と鉄青磁釉のドットを交互に配してみました。わら白釉は流れるので、つけた色が、どこまで流れて流れないか、それで模様も左右されます。あんまり流れないでほしいんだけど。

こんなに作ってどうすんだよ、と思いましたが、今回も大きめのマグカップを2つ作りました。ただ、つる土(白)でマグを作ったのは初めてだと思います。この土はけっこう作りやすかったです。焼いた見本を見せてもらうと、はっさく土のように、わりとうす黄色い色でした。先生曰く、こちらの方が作りやすいし、焼いた感じも似ているので、今ははっさく土は仕入れていないとのこと。
今回やった絵付けの結果を確認して、これらの釉薬も決められたらと思います。うまくいくといいな。作ったけど使えないマグが増えるにつれ、テーブルの隅→部屋の隅→ベランダ、という順でだんだん追いやられていきます。早く捨てればいいのにね。

| 陶芸 ceramicas | 16:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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