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 ドラマ「フランケンシュタインの恋」を見て

‘雨のブランコ’ 記事とはなにも関係ないですけど
ブランコ2016

リアルタイムでは見ていなくて、ドラマが終わってしまってから、一気に見ました。この週は、「おんな城主直虎」「ゆとりですがなにか(純米吟醸純情編)」も見たので、結果的に毎日柳楽くんを見ることになり、「柳楽くん祭り」みたいな週になりました。

視聴率はイマイチ振るわなかったらしいですが、わたしはとてもよかったです。はじめから、なんだか、「泣くな、はらちゃん」「ど根性ガエル」を彷彿させる雰囲気だなぁと思ったら、同じ局だし、プロデューサー、演出の方が複数かぶってますね。どおりで…。どちらも大好きで忘れられないお話でした。

「フランケンシュタインの恋」という題名からも、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」のお話がベースになっていることは明らかで、あのお話を、現代のドラマでどういうふうに使うんだろう、という興味がありました。
2年前に、「100分de名著」で取り上げられたので、感想などを書いているんですが、たしか、オリジナルの話では、無垢な心を持った怪物が、人間の持つ先入観に疎外されたり、身勝手さに翻弄されたりして、結局は本当に恐ろしい怪物になってしまう悲劇だったと思うんですよね。ほんとの怪物は、人間の醜い心がが作ってしまうものなんです。
なので、このドラマでも、2人の恋は成就しないだろうと思って見ていました。
怪物の気味悪さとか、理解しがたい部分を「きのこ」で表現したのは、うまいなぁと思いました。ネットでは、きのこが気持ち悪いという感想もあったみたいですが、綾野剛さん扮する怪物のビジュアルは、思ったより人間寄りだったので、きのこくらいは必要かと思います。
綾野さんの魅力がこの上なく発揮されていて、彼ありきで原案ができたのかなと思いました。こういう、ピュアな感じは、朝ドラ「カーネーション」の周防さんにも少しあって、それで大ブレイクしたんですよね。

怪物の回りの人間は、それなりに彼を利用しようとしますが、基本的には悪人になれない設定で、特に、恋人の津軽さんは、終始ブレや迷いがないキャラクターだったのが、少し意外でした。愛の強さですね。それが、製作サイドにとっては、絶対に外せなかった部分ではないかなと思いました。
それあっての、最終回のソフトランディングは、本当に、ふんわり心が温められて、幸せな気持ちで見終えることができました。よかった。また、こういうテイストのファンタジーを作ってほしいなと思います。

| 日記・つぶやき diario | 01:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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近況 歯医者通いなど

‘アジサイとユリ’ 画像は、以前親知らずを抜いた時期に撮ったもの。
あじさいとユリ12-17


ここのところ、陶芸のこと以外はすっかり近況のことを記すのをご無沙汰していました。
それは、昼間に少し引っかかるニュースや出来事があったとしても、
1 夜に弱くなったので、すぐに忘れて寝てしまう。
2 ネットニュースの、めまぐるしい速度の情報の多さに、いちいち反応してられない。
3 歯医者に通ったら、毎日のノルマを課せられた。
これらが主な原因でしょうか。
こんな感じで、きっと矢のように時間は去っていき、後で振り返っても「何やってたんだろうな、何考えてたんだろうな」と、これまた思い出せないことになるんでしょうね。こんなことでよいのか。

さて、上に挙げた1と2は、老化と環境のことで毎度のこととして、3の歯医者について少し書いておこうと思います。

左奥歯の一部が欠けたのが4月上旬。欠けただけなので、すぐに直してもらえると思ったんですが、一旦通い始めると、なかなか解放されないのが歯科ですね。
欠けた歯は虫歯になっていたため、その治療と、その奥の親知らずを抜くことになりました。あと、歯周ポケットの検査をやったんですが、それにも問題アリで、その治療もやることに。どうやら、親知らずが、歯茎に悪い影響を及ぼしていたようです。
5年前に、右の親知らずを抜いたときには、左の親知らずは全て歯茎の中に埋まっており、その存在はレントゲンでしか確認できなかったのですが、この数年で、少し白いものが見えるようになってきました。

それにしても…4月の初診で、これらの治療をやると言われたけど、いつも、次回の診療をかなり未来に設定されるので、いまだに通っています。どうして歯医者って、こんなに時間を引っ張るのかな。はじめは、人気があって予約が取りにくいのかと思っていましたが、考えてみると、内科などにくらべて治療費がけっこうかかるので、すべてを1ヶ月以内とかで駆け抜けると、患者は歯痛じゃなくて、お財布のショックで口が塞がらなくなるのかもしれませんね。それを避けながら、じわじわ診療するようにしているのかも。(想像です)
それでだかどうだか、親知らずを抜いたのは結局5月終わりになりました。痛かったけど、これで奥歯をケアしやすくなりました。

さて、毎日のノルマとは、歯周病対策のやり方で歯をみがくことです。ゴールデンウィーク明けにレクチャーを受け、それから毎日やっています。ふつうの歯磨きとは少し違っていて、歯磨き粉などをつける必要はないのですが、磨き方が少し難しく、すべて磨き終わるのに15〜30分かかります。そんなに長いので、「洗面所でやらずに、ながらミガキするといいですよ。」とアドバイスされました。
たしかにそれがいいけれど、手鏡を持ちながら磨くので、ながらっていっても、寝転がって、せいぜいテレビ見ながらくらいしかできないです。おかげさまで、このクールは、テレビドラマをよく見ました。
今月終わりに、1か所、歯周ポケットを塞ぐ治療をすることになっていますが、この歯磨きって、いつまでやるんだろな。早く全てを終了したいです。

| 日記・つぶやき diario | 00:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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カルテットと、そのレビューから

‘部屋にも春を’
桜とフリージア2017

ドラマ「カルテット」が、先週終わりました。最近見たドラマの中では、群を抜いて個性的で好きなドラマでした。
ひとつひとつのエピソードと台詞にいろいろ暗示や恣意が含まれていて丁寧で、4人の俳優さんたちが、演技でないくらい上手かったし。毎回、名言が登場して、その度に感心していました。
大人の恋愛サスペンスというふれこみだったけど、とんでもない展開にハラハラさせるのに最後はとても優しいメッセージに着地して、もう、恋愛とかを超えた世界になっていたかな。


けっこう、突いてると思ったレビューがあったので、のっけます。
リアルサウンドの記事ー『カルテット』最終話で真紀が“こぼした”ものとは? どこまでもグレーな結末を読む

この記事の中で、わたしが大きくうなずいた箇所が2つありました。
「白黒つけたがるときは、往々にして相手を糾弾したいときだ。味方でいる分には、白でも黒でもそばにいることには変わらない。」
「自分が手放した道を進む人は眩しく見える。」
です。

以前、カントのことを書いた時、「若い時、全てに白黒つけられないものかと思ってたが、それは自分のエゴだった」と書いたのですが、白黒つけない優しさこそが、お互い過去に傷を持つカルテットのテーマのひとつなんですよね。
「だが、相手をグレーのまま許容するのは、決して簡単なことではない。」とあるように、普通の友人関係では、だいたい無理なんじゃないかと思います。カルテットの4人は、その簡単でないことが乗り越えられていて、それは運命的なことでもあったけど、家族のようなこのつながりが保たれているのは、個々がそれぞれ自分の欲求を二の次にしても相手を思いやっているから。実際には、こんなふうに「大人」でいるのは難しいと思うけれども。

2つ目の「自分が手放した道を進む人は眩しく見える。」は、本当に人間の心の闇ですよね。
「手紙の送り主。きっと安心したいのだろう、自分の選択肢は間違っていなかったのだ、と。」たぶん、手紙の主だけじゃなくて、きっと有朱ちゃんもそうだったのではないかと思います。最後に彼女が「人生ちょろかった!」と4人の前で勝利宣言のように言うのは、「勝ったのは私。ほらごらん、まちがってない。」そういうことでしょう。でも、老いとともに、人生はちょろくなくなるので、彼女がバカバカしいまぼろしと思っているカルテットの夢のように、彼女のステキなちょろい人生もまた、まぼろしのように儚いものになるんでしょうね。
話は逸れるけど、これ、女性同士の嫉妬や確執も、だいたいこれから来ていると思う。
日本の社会では、仕事、結婚、出産の過程で、どうしても女性が選ばされている。手放さざるをえなかったものは、もう次に手に入れることができないか、大変難しい。もう取り返せないほうを肯定的に歩む人を見ると、心がざわつき、不安になる。だからせめて、自分が間違ってないと言って安心したい、という心理ですね。
(ただ、自分が手放した道を進む他人は、自分が手に入れたほうの道は、たいてい手放しているんだけどね。)
これは社会の構造の問題なので、女性同士の問題だと、他人事に思ってる男性がまだまだ多いのが残念だけど。
話が逸れましたが、男性にも、こういう心理はどこかにあるんじゃないですかね。

あと、「直接には役に立たないかもしれないけど、好きでやっていることへの讃歌」というテーマもよかったです。
ふだん、うまく回っている時には気づきにくいけど、仕事から、社会から見放されたと感じるとき、見捨てずにじぶんの味方になってくれるのはいつも、「役に立たないけどいつもやっていること」です。まわりからの援助や助言で救われることもあるかもしれないけど、最終的には、自分がいつもやらずにはおれないこと…家事でもなんでも、案外つまんないルーティンなど、自分でしたことに救われるのです。
最終回の、唐揚げに添えられるパセリのくだりは、たいして役に立たないけどあったほうがいいものとして、突いてるなあと思いました。

ドラマを見て楽しみ、ネット上では他人のこのドラマの見方を楽しんで、2度おいしいドラマでしたが、ゆっくり何度か見返してみたら、さらに味わい深いドラマだろうなーと思います。見返す時は、きっと、何気ないシーンのほうが、ぐっと心に迫ってきそうです。


| 日記・つぶやき diario | 16:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ひとことで表せなかった心象風景が

‘散歩日和’
河原土手170312-2
El último verano, encontré un libro en una librería,"Las palabras del mundo que no se pueden traducir en japonés direcramente", Hubo una palabra interesante para mí en él. Eso es WALDEINSAMKEIT en alemán, que signífica la soledad libre y ancha cuando se comunica con la naturaleza en bosque. Yo no voy a ningún bosque de ordinario, pero tengo memórias que me comunicaba con la naturaleza en un bosquecillo cerca de mi casa en mi infancia. Por eso, buscando unas hierbas en la ribera orilla, yo sola, disfruto sentir la naturaleza. ¿Entiendes esa sensación? Puede ser que yo fuera una alemana o finlandesa en la existencia anterior... jajaja.


子ども時代に、ひとりで近所の山に入っては、赤い椿の花を見に行ったり、ざわざわ鳴る風を少し怖いなと思いながら、でもスミレはまだ咲いていないかとかソワソワもしたり、奥の砂防ダムの裏の山蕗を見に行ったりしていました。まだ生き物が活発でない山は入りやすかったので、特に春先のことでした。
そのせいか、明るい陽が適度にあり、自然のある大変静かな空間、自分とも向き合える自由さと、独特なさみしい感じ。説明しにくいんですが、そういうものに惹かれる性分があり、そういうのだれかわかる人いるかな…と思っていました。子ども時代に、まわりにそういう人はいなかったように思います。(だから1人で行ってたというのもある。)

以前、このブログでも少し書いたように、フィンランドあたりでは、人々は夏にきのこやベリーを摘みに、ひとりで森に入るそうなので、そういう感覚がわりとふつうにありそうだとは思っていました。
そして、昨年の夏、偶然、本屋で「翻訳できない世界のことば」という本を見かけたのですが、

ぱっとページを開いた時に、
WALDEINSAMKEIT(ヴァルトアインザームカイト) 
「森の中で1人、自然と交流するときのゆったりとした孤独感」 ※ドイツ語

とあったので、「あっ!」と思いました。あれを、一言で言える国があったんだ!
なんか、うれしい。
もう、森に行く手段もないのですが、今も、毎春の川土手散策と摘み草(つくし)は、この言葉のような気持ちです。
マイ重要単語として、記録しておきます。


‘春の川土手’ 
河原土手170312-1

つくしの短い季節。
ピンクのアネモネは、民家から球根が飛んできたのか。
なぜかスイセンもあったりして、ギリシア神話つながりだな、と思った。

| 日記・つぶやき diario | 17:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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100分de名著「野生の思考」について

‘これは野生のパンジー(Pansée sauvage)じゃないけれど’
パンジー100221


昨年12月に、番組でやっていた、レヴィ=ストロースの『野生の思考』
解説していた中沢新一さんも、web上の番組紹介でも、なかなか簡単には読み解けない本だと言っていたので、はなっから、本書の読書に挑戦しようとは思わず。
なのに、なんだかとても頭にひっかかるものがあり、もしわかったら新しい視点を与えてくれそうで、無視できなくなりました。
というのも、これまでの、自分の持っていた概念を変えさせられるお話で、ふだん、自分の考え方の、どちらかといえばよくない「クセ」だと思っていたことが、なんだ、まちがいでもないや、という安心感のようなものを与えてくれた気がするんですよね。
あと、人間の現代的考え方と、それまでの考え方を客観的に見ることで、現代の行き詰まり感から、新しい考えへのヒントになるかもしれない話を含んでいそうなお話だったからです。

それで、テキストだけ全部読んでみることにしました。
1か月遅れで、徐々に読んでいったのですが、しかし、この解説本ですら、わたしのオツムでは、ちょっと歯が立たず、4回分の解説の、特に前半は、なにを言ってるのかぜんぜん分かりませんでした。布団の中で、眠りながら読んだのもまずかったけれど、とにかく前に進めず、やっと一度読み終えて、もう一度前半を読むことになりました。
そんなわけで、ずいぶん遅れてなのですが、
「わからないなりに、気になるとこだけでも、ぼやぁっとわかった気になったことだけでも、書いておこうか。」
と思いました。自分の解釈で変換してしまった言葉も入っているので、勘違いもあるかもしれません。
それに、まとまらないと思いますけど…(だれか、わかる人がいたら、教えてほしい。)


◆未開社会の人々の思考
民族学者、人類文学者レヴィ=ストロースは、未開の地域の人々の生活を調べるうちに、彼らが現代社会に生きる人に比べ、決して思考が劣っているものではない。新石器時代から、人間の思考のしかたは、そう変わっていない、と結論づけました。
人間は、グラデーションのように、連続して途切れない、膨大な自然の要素の中から、記号のようにいろいろと抜き出して、それからさまざまなものを作ることにより文化を作り上げてきました。それを、彼は「ブリコラージュ(日曜大工)」と名付けました。
その考え方は、未開社会だけでなく、現代のわたしたちが創作するもののベースに、深くかかわっています。最初から完全な設計図を前提とする現代的なやりかたと違って、ありあわせのものを本来とは別の目的や用途のために流用したものは、「それ用」に作られたものではないのだから、必ず少しブレていて、完璧はなく、目指せば終わりはありません。
こうした、理性と感性を切り離さない豊かな思考は、解説によれば、ITの世界にも生きているのだそうです。わたしが納得した例としては、現代アートなんて、まさしくそういうものですよね。絵画やインスタレーション製作中に、「どこで終わりにしよう?」と思ったことがある人は、うなずけると思います。とても身近なところでは、冷蔵庫の中のありあわせのもので、ご飯を作るなどもそうで、クリエイティブのきっかけをつくるのって、いつもこういうことではないですかね。

◆「歴史」の概念
わたしたちが、ごくあたりまえに思っている、「歴史」の概念って、19世紀くらいからのことで、それまで重要ではなかったみたいです。それくらいの時期から、「歴史」に過度な重みを与えて、進歩や発展を言い始めたんだそうです。今のGDPとか、経済成長率とかが重要視されているのも、全部、前との比較(=歴史重視)ですね。
「常に進歩しなくちゃならない」って、どこまで行くつもりなんだろう。そして、そう言ってるけど、もう、いまのままでは、これまでの常識では進んでいきそうにない気もする、なんか、頭の隅がモヤモヤする今日この頃に、「その常識、ここ200年くらいのことですよ」と言われて、「えっ、それ、あたりまえじゃなかったの?じゃあ、そういう概念じゃない世界って?」と、ビックリしました。

◆「構造」って、何?
レヴィ=ストロースは、「歴史」の対極にあるものを「構造」だと言っています。未開人は、毎日惰性的な生活をして歴史を作らないのではなく、むしろ選んで、歴史の外に出ようとしていた。それは、彼らが歴史よりも「構造」を重視していたからだ、というのです。
では、「構造」って何?
ここらへんが、むずかしくてよくわからなかったです。形式とか、スタイルというのが近いんでしょうか。決まった婚姻パターンとか、各部族の情報交換とか、そういうのが重視されてたみたいなんですけども。(だれか教えてほしい)
現代の政治は、「歴史重視(成長重視)」のままなのですが、今後、その枠を出て、新しい概念に移ることがあるのでしょうか。こんな、未来の社会のあり方を根底から考え直すような大きな話、自分が考えても仕方ないかと思いますが、これまで触れないようにしてきたぼんやりした不安や、成長の強迫観念みたいなものがやっぱりあるから、この話が興味深く思えるんだと思いました。

◆「神話」とは
おもしろくて、ふむふむ、と思ったのは、「神話」の話でした。
神話はいつも、何か矛盾を含んでいて、善悪もオチもない話だな、と、子どものころは思っていました。でも、たいてい、自然を人になぞらえているものが多いですよね。
自然を分けたり、部分的に何かを取り出したりして文化は作られるが、それにより、文化と自然の間に矛盾が生まれます。その矛盾を、うまく説明して折り合いをつけているのが神話だということです。
神話の考えは、この世界が矛盾によって成り立っているという認識に立っているとのことなので、神々はやりたい放題だし、「なんで?」と思うエピソードでちりばめられているけど、神話を知ることによって、自然とうまく付き合い、豊かに生きることができたのでしょう。レヴィ=ストロースが、「神話は人類最初の哲学である」といったのは、そういうことなんでしょうね。

◆日本における「野生の思考」
レヴィ=ストロースは、日本に大変な興味と愛情を持っていて、日本訪問の際、職人の仕事、市場、里山などをたずね歩きました。

・ポイエーシス、用の美
陶器、木工職人たちの仕事では、よく、「この木が机になりたがっている」だとか、「無理強いせず、土の言うことを聞け」とか、聞いたことがありますが、そうやって自然に導かれるように作る考え方も、野生の思考のひとつだそうです。
人間が耕作する里山も、自然をそのままではないけれど、台無しにする設計ではなくて、そこの自然を活かしていて、手つかずの自然と人間との、共存ミックスゾーンになっています。

・自然の人間化
日本人はいつも、人間を自然に例えるのではなく、自然を人間化します。例えば、鳥獣戯画や風流蛙大合戦之図。それなら、今の漫画だって、ポケモンだってそうだということになります。自然を人間化することで、自然に親しみを感じることができますね。
テキストの中に、「人間を自然化」した絵も見ましたが、「自然を人間化」した絵に比べ、とても不気味に感じました。例えるなら、なんか、「アバター」っぽかったです。超人とか、ミステリアスに思わせる効果はあるかもしれません。

・日本の食
レヴィ=ストロースは、食事の文化にも興味を注ぎました。火を起こして、食べ物を作る行為は、自然から文化に転換する瞬間なので、かまどの回りには神話が生まれやすいのだそうです。
すっかり日本食が好きになり、亡くなるまで白いご飯と焼き海苔が食卓にあったとのこと。
日本食の特性としては、「分割主義」を挙げたそうです。
食材は混ぜずに供して、口の中で合わせて混ぜる。日本食って、「なるべく自然のものをそのまま」というイメージがありますが、分割して美しく盛る意識って、これも、人間の手を加える部分と、加えない境界線が、おもしろいなと思います。


テキストを読んで、わたしがまとめと感想を書けるのはこのくらいで、まとまりがないです。
こういう思想が、「ああ、あのとき!」と、思い起こしたり、ヒントになったりすることがあるのかどうかはわからないですが、目の前の閉塞した物事が変わらないのであれば、考え方や意識のほうを転換することが希望につながるのかな、と思いました。
とりあえず今の自分の生活に重ねて思うのは、ふだん、なりゆきで考えて作ったようなものでも、最終形もわからず手をつけはじめたようなことでも、それが特にまちがいというわけではないのだな、ということでしょうかね。「ブリコラージュ」という言葉は、覚えておこう。

| 日記・つぶやき diario | 22:43 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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