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100分de名著「野生の思考」について

‘これは野生のパンジー(Pansée sauvage)じゃないけれど’
パンジー100221


昨年12月に、番組でやっていた、レヴィ=ストロースの『野生の思考』
解説していた中沢新一さんも、web上の番組紹介でも、なかなか簡単には読み解けない本だと言っていたので、はなっから、本書の読書に挑戦しようとは思わず。
なのに、なんだかとても頭にひっかかるものがあり、もしわかったら新しい視点を与えてくれそうで、無視できなくなりました。
というのも、これまでの、自分の持っていた概念を変えさせられるお話で、ふだん、自分の考え方の、どちらかといえばよくない「クセ」だと思っていたことが、なんだ、まちがいでもないや、という安心感のようなものを与えてくれた気がするんですよね。
あと、人間の現代的考え方と、それまでの考え方を客観的に見ることで、現代の行き詰まり感から、新しい考えへのヒントになるかもしれない話を含んでいそうなお話だったからです。

それで、テキストだけ全部読んでみることにしました。
1か月遅れで、徐々に読んでいったのですが、しかし、この解説本ですら、わたしのオツムでは、ちょっと歯が立たず、4回分の解説の、特に前半は、なにを言ってるのかぜんぜん分かりませんでした。布団の中で、眠りながら読んだのもまずかったけれど、とにかく前に進めず、やっと一度読み終えて、もう一度前半を読むことになりました。
そんなわけで、ずいぶん遅れてなのですが、
「わからないなりに、気になるとこだけでも、ぼやぁっとわかった気になったことだけでも、書いておこうか。」
と思いました。自分の解釈で変換してしまった言葉も入っているので、勘違いもあるかもしれません。
それに、まとまらないと思いますけど…(だれか、わかる人がいたら、教えてほしい。)


◆未開社会の人々の思考
民族学者、人類文学者レヴィ=ストロースは、未開の地域の人々の生活を調べるうちに、彼らが現代社会に生きる人に比べ、決して思考が劣っているものではない。新石器時代から、人間の思考のしかたは、そう変わっていない、と結論づけました。
人間は、グラデーションのように、連続して途切れない、膨大な自然の要素の中から、記号のようにいろいろと抜き出して、それからさまざまなものを作ることにより文化を作り上げてきました。それを、彼は「ブリコラージュ(日曜大工)」と名付けました。
その考え方は、未開社会だけでなく、現代のわたしたちが創作するもののベースに、深くかかわっています。最初から完全な設計図を前提とする現代的なやりかたと違って、ありあわせのものを本来とは別の目的や用途のために流用したものは、「それ用」に作られたものではないのだから、必ず少しブレていて、完璧はなく、目指せば終わりはありません。
こうした、理性と感性を切り離さない豊かな思考は、解説によれば、ITの世界にも生きているのだそうです。わたしが納得した例としては、現代アートなんて、まさしくそういうものですよね。絵画やインスタレーション製作中に、「どこで終わりにしよう?」と思ったことがある人は、うなずけると思います。とても身近なところでは、冷蔵庫の中のありあわせのもので、ご飯を作るなどもそうで、クリエイティブのきっかけをつくるのって、いつもこういうことではないですかね。

◆「歴史」の概念
わたしたちが、ごくあたりまえに思っている、「歴史」の概念って、19世紀くらいからのことで、それまで重要ではなかったみたいです。それくらいの時期から、「歴史」に過度な重みを与えて、進歩や発展を言い始めたんだそうです。今のGDPとか、経済成長率とかが重要視されているのも、全部、前との比較(=歴史重視)ですね。
「常に進歩しなくちゃならない」って、どこまで行くつもりなんだろう。そして、そう言ってるけど、もう、いまのままでは、これまでの常識では進んでいきそうにない気もする、なんか、頭の隅がモヤモヤする今日この頃に、「その常識、ここ200年くらいのことですよ」と言われて、「えっ、それ、あたりまえじゃなかったの?じゃあ、そういう概念じゃない世界って?」と、ビックリしました。

◆「構造」って、何?
レヴィ=ストロースは、「歴史」の対極にあるものを「構造」だと言っています。未開人は、毎日惰性的な生活をして歴史を作らないのではなく、むしろ選んで、歴史の外に出ようとしていた。それは、彼らが歴史よりも「構造」を重視していたからだ、というのです。
では、「構造」って何?
ここらへんが、むずかしくてよくわからなかったです。形式とか、スタイルというのが近いんでしょうか。決まった婚姻パターンとか、各部族の情報交換とか、そういうのが重視されてたみたいなんですけども。(だれか教えてほしい)
現代の政治は、「歴史重視(成長重視)」のままなのですが、今後、その枠を出て、新しい概念に移ることがあるのでしょうか。こんな、未来の社会のあり方を根底から考え直すような大きな話、自分が考えても仕方ないかと思いますが、これまで触れないようにしてきたぼんやりした不安や、成長の強迫観念みたいなものがやっぱりあるから、この話が興味深く思えるんだと思いました。

◆「神話」とは
おもしろくて、ふむふむ、と思ったのは、「神話」の話でした。
神話はいつも、何か矛盾を含んでいて、善悪もオチもない話だな、と、子どものころは思っていました。でも、たいてい、自然を人になぞらえているものが多いですよね。
自然を分けたり、部分的に何かを取り出したりして文化は作られるが、それにより、文化と自然の間に矛盾が生まれます。その矛盾を、うまく説明して折り合いをつけているのが神話だということです。
神話の考えは、この世界が矛盾によって成り立っているという認識に立っているとのことなので、神々はやりたい放題だし、「なんで?」と思うエピソードでちりばめられているけど、神話を知ることによって、自然とうまく付き合い、豊かに生きることができたのでしょう。レヴィ=ストロースが、「神話は人類最初の哲学である」といったのは、そういうことなんでしょうね。

◆日本における「野生の思考」
レヴィ=ストロースは、日本に大変な興味と愛情を持っていて、日本訪問の際、職人の仕事、市場、里山などをたずね歩きました。

・ポイエーシス、用の美
陶器、木工職人たちの仕事では、よく、「この木が机になりたがっている」だとか、「無理強いせず、土の言うことを聞け」とか、聞いたことがありますが、そうやって自然に導かれるように作る考え方も、野生の思考のひとつだそうです。
人間が耕作する里山も、自然をそのままではないけれど、台無しにする設計ではなくて、そこの自然を活かしていて、手つかずの自然と人間との、共存ミックスゾーンになっています。

・自然の人間化
日本人はいつも、人間を自然に例えるのではなく、自然を人間化します。例えば、鳥獣戯画や風流蛙大合戦之図。それなら、今の漫画だって、ポケモンだってそうだということになります。自然を人間化することで、自然に親しみを感じることができますね。
テキストの中に、「人間を自然化」した絵も見ましたが、「自然を人間化」した絵に比べ、とても不気味に感じました。例えるなら、なんか、「アバター」っぽかったです。超人とか、ミステリアスに思わせる効果はあるかもしれません。

・日本の食
レヴィ=ストロースは、食事の文化にも興味を注ぎました。火を起こして、食べ物を作る行為は、自然から文化に転換する瞬間なので、かまどの回りには神話が生まれやすいのだそうです。
すっかり日本食が好きになり、亡くなるまで白いご飯と焼き海苔が食卓にあったとのこと。
日本食の特性としては、「分割主義」を挙げたそうです。
食材は混ぜずに供して、口の中で合わせて混ぜる。日本食って、「なるべく自然のものをそのまま」というイメージがありますが、分割して美しく盛る意識って、これも、人間の手を加える部分と、加えない境界線が、おもしろいなと思います。


テキストを読んで、わたしがまとめと感想を書けるのはこのくらいで、まとまりがないです。
こういう思想が、「ああ、あのとき!」と、思い起こしたり、ヒントになったりすることがあるのかどうかはわからないですが、目の前の閉塞した物事が変わらないのであれば、考え方や意識のほうを転換することが希望につながるのかな、と思いました。
とりあえず今の自分の生活に重ねて思うのは、ふだん、なりゆきで考えて作ったようなものでも、最終形もわからず手をつけはじめたようなことでも、それが特にまちがいというわけではないのだな、ということでしょうかね。「ブリコラージュ」という言葉は、覚えておこう。

| 日記・つぶやき diario | 22:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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100分de名著を振り返って「苦海浄土」

‘この写真も本文となんの関係もないですが’ 若い緑が美しかった。
緑170109-2

前のログに引き続き、遅まきながら100分de名著を振り返ります。
苦海浄土(2016年9月放送)〔石牟礼道子著〕は、この番組で取り上げられるまで、その存在を知りませんでした。
だから、特に興味もなく、テキストも読まないで暇つぶしに番組を見たのが初めです。

のっけから、水俣病患者の心情を語った内容だったので、正直なところ、最初は心理的に遠くて、少しおっくうだな…と思いながら見はじめました。
ところが、番組内で紹介された、著者の短い文章が、ものすごく切なく美しくて、かつてこんなに胸を打たれる文章って、読んだことあったかな?と思うくらいで、ちょっとびっくりしました。
テキストの解説にもありましたが、「美し」は「かなし」とも読む。ということが、こんなに胸にストンと落ちるなんて。著者は、この著書を、ドキュメンタリーでも小説でもなく、詩だと思っている、と言ったそうですが、部分的に取り上げられた箇所だけ読んでも、そうなのかもしれないと思いました。

まだ、番組を見てテキストを読んだだけなのに、以下、まるで、著書を全部読んだかのようにいろいろ書いてしまうのが申し訳ないのだけど、テキストだけでもそれだけのインパクトがあったのは確かです。

言葉を伝える手段を失った水俣病患者の心情を、著者の感性を通じて紡いだ言葉は、少しだけ読んでも、ひとつひとつが重いだけでなく、心の芯にまで深く迫ってきて、患者とその家族のリアルな状況が理解できるのはもちろん、魂からのメッセージがすごいと思いました。(番組では、夏川結衣さんの朗読もすばらしかった)
テキスト解説で、「この本は、一度に読み終われないかもしれない。が、読み終われない本があってもいい。」という旨が書かれていましたが、詩だったら、短文でも、簡単に早く読み進められないものですよね。そういうことなのではないかな、と予想しています。

患者を巡る過酷な現実を描いている断片も、なんというか、涙でできた水晶や真珠がきらめくように美しくて、なにか尊いものを感じます。
水俣問題をめぐるニュースは、時々目にすることがあったけれど(終わってないので、これからも目にするでしょう)、日常に飛び込んでくるニュースだけでは、この本が描く世界のように見ることは、到底できませんでした。

この本には、フランクルの「夜と霧」と共通してる部分があるんじゃないかな…(と思ったら、テキストにもそう書いてありました)。
「夜と霧」はナチスの強制収容所でのお話なので、全然舞台は違っているけれども、巨大な政治的思惑から理不尽に虐げられた人々の話だということは同じです。どちらも、大変重く暗い題材を語っていながら、絶望の中に、バラ色の光、または涙を照らす光が差し込むような、圧倒的な美しさと温かさがあると思います。
「夜と霧」は、低迷している自分をとても勇気づけてくれた本でしたが、「苦海浄土」もまた、そういう匂いがすると思いました。どうして、こんな悲しい、理不尽に耐え忍ぶ人々のお話に、心温まったり、勇気づけられたりするんでしょうかね。
自分なりに答えを探してみました。

生きていると、しばしば理不尽なことに出会うもので、怒り、悲しみ、諦め、孤独を経験することになります。でも、お話の主たる人々は、自分の運命を悲しむでもなく、ましてや誰かを呪いもしないのです。苦しく悲しい中にも、移りゆく自然の美に感動できる感性を持っています。
きっと、そういうところがすばらしくて、勇気づけられるのではないかと思います。

原著を見かけたら、ぜひ読んでみたいです。

| 日記・つぶやき diario | 00:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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100分de名著を振り返って

‘タイトルとまるで関係ないです’ 花はヒメツルソバ
花170109-1


本そのものを読んでもいないのに読んだ気分になれる、100分de名著ですが、リアルタイムで番組を見なかったり、考えがまとめられなかったりで、なかなか感想を書けませんでした。そうしているうちに、どんどん忘れて頭からこぼれるので、2016年秋頃からの放送またはテキストを、今、残っている印象だけでも記録しておこうと思います。


○「永遠平和のために」カント ーーーーーーーーーーー
難しそうだし、ぜったいこの本読まないと思います。なので、テキストとテレビでわかった気分になろうと決めました。
この人のこと、高校の倫理の授業で少し習って以来?
でも、この放送を見て、ちょっとカントのイメージが変わりました。法、制度、経済のシステムを考えた人だったんですね。18世紀の人なのに、今に十分通用することを、あの時代にもう予測して考えていたとは。
印象的だったことを2つ挙げると

●人間の本性は邪悪である。しかし、邪悪でも、「道徳」で悪を抑止することはできる。
ただし、「道徳」とは良心の問題ではない。「普遍的なルールとしてあらゆる人の利益や都合を保証するために活用されるもの」だ。
 ……自分が持っている、道徳ということばの概念が、どうしても邪魔してきて混乱しました。強制的に、「道徳→例外抜きのシステムに置き換え」で、なんとか飲み込みました。

●恒久平和を維持するシステムとして「諸国家による平和のための連合」を構想する。
 なぜ、「世界統一国家」ではダメなのか。
 世界統一国家への統合は、異なる文化、価値観、言語という個別の事情を超えて、特定の強者の文化や価値観が一方的に物事を決定するという大きな抑圧を生みかねない危険性が必然的に生じるから。
 ……これ、どこかの独裁主義国の将とかテロリストとかに聞かせてやりたいと思いました。もう、18世紀にこう言ってますよって。
 わたしも、うんと若い頃には、物事のいざこざが全部解決する世界になればなぁとか、全てに白黒つけられないものかと思っていたこともありました。でも、今になって思うと、それこそがご都合主義というか、エゴっていうか。
 年を経て、今思っているのは、平和な状態を保つのはすごく難しいことで、国と国、人と人のせめぎ合いは、ずーーーーっとなんですよね。永遠に、ずーーーーーっと終わらない。沸騰した湯からわき上がる空気の玉みたいに、後からあとから湧いてくる小さいこれらを潰していく努力で、なんとか保たれているもの。これを、大きな権力で一時的に鎮めることができたとしても、たまったエネルギーはある日爆発し、思ってもみない規模で大きな傷を作ることになるんだろうと思います。
 だから、問題は多くても、小さなアブクと戦う「諸国家による平和のための連合」なんでしょうね。
 
○「苦海浄土」石牟礼道子 ーーーーーーーーーーー
ふつつかながら、これまで全然その存在を知らなかった本でした。なのに予想外にハマった放送でした。
2、3行で感想を書けなかったので、後日また書きます。
 
○「正法眼蔵」ーーーーーーーーーーー
宗教本は、これも絶対読まないので、この番組でわかりやすく解説してくれる宗教ものは、毎回楽しみにしています。知っておいたら、宗教が背後にある文化や芸術のことが理解しやすくなりそうだからです。
今回も楽しみにしていたのですが、しかし、これはちょっと入り込めませんでした。
おかしいな…「般若心経」「歎異抄」などは、とても面白かったのに。
私自身が忙しいモードだったのもあるかもしれないし、解説が合わなかったかも。解説者との相性は、けっこう大事だと思います。興味なかった本が、急に身近になったものもありましたから。

○「野生の思考」レヴィ・ストロース ーーーーーーーーーーー
ひと月遅れで、今、再生中。予想外におもしろそうだったので、テキストをまずは読んでみようと思います。中沢新一さんの解説は、いろいろインスピレーションを与えてくれそうです。


今月は、中原中也をやっています。解説はどうかな…少し頼りないかも。まあ、詩って、感覚的だしね。
また、遅れて追っかけますけど、中也に興味あるので、これも楽しみです。

| 日記・つぶやき diario | 23:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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リオ・パラリンピック閉会式(espectáculo目線)

リオ・パラリンピックの閉会式。(ほぼ、音楽とか演出の話です)
テレビで見ましたが、オリンピックに負けない、よい式だったように思いました。
お天気は、待ってた?とでもいうように、またもや雨。でもやっぱり、魅力的な音楽で、選手たちもボランティアの人たちも、みんな踊ってました。パフォーマンスは若い人たち。でも、古い名曲もどんどん歌っていました。

Juazeiro...ジルベルト・ジルの曲だったのかなぁ…すごいグルーヴ感。わたしが聴いたのは別の人のだったけど、どこで聴いたのか思い出したい。
Não Vá Embora…オリンピック閉会式につづき、これもMarisa Monteの歌だった。


さて、東京大会のプレゼンテーションですが、(NHKのノーカット版がありました)
イメージは先日のオリンピック時の雰囲気を踏襲するものでした。小池さんは、今回は鶴の描かれたマント状の上着を羽織った洋服でした。もう雨天時の着物は懲りたのかしら…(たぶん、そういうことじゃないだろう。)
障害を持つ人たちのダンスパフォーマンスがあり、それがカッコよかったのですが、音楽がなんと、「東京は夜の七時」!(リオは朝の七時、という副題もついてた(笑)
これには感動しました。誰が歌っているのかはわからなかったけど、大会を意識した新しい歌詞に変更されていて、わくわくさせる音楽構成に、「東京は夜の七時」「早くあなたに会いたい」という繰り返される歌詞が、すごく期待させるんですよね。ピチカート・ファイヴ、こういうの合うな。
ついでに、これがリアルに流れてた頃、「よくカラオケで歌ってたなー」という思い出までが甦り、すっかり満足しました。

最後は、Ibete Sangaloが、パラリンピックのテーマをCallum Scottと歌い、自身のSorte Grandeを歌って締めました。

なんやかんやとあったけど、終わってみれば、リオ大会はどちらもちゃんと終わりましたね。さあ、TOKYOでは、どういうおもてなしをするのでしょうね。

あとで調べたら、「東京は夜の七時YouTube」を歌ってたのは、長岡亮介さんといって、2015年紅白歌合戦の、椎名林檎さんの「長く短い祭」のとなりで歌ってた人だそう。やっぱり、ここのステージも、というか、オリンピックよりさらに林檎色全開だったみたいです。

‘右となりの人’ それにしてもこのPV、ちょっと猟奇的だな。

| 日記・つぶやき diario | 16:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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梅雨、大潮の日の宮島

‘雨が上がったばかりの大鳥居’
大鳥居160605
Fui a Miyajima para guiar mi amiga que vive en Tokio. Esta vez, ella vino a Hiroshima para el viaje organizado por su oficina. Por eso, no teníamos mucho tiempo, pero lo pasamos bien un rato ahí.
Estos años los restaurantes o cafeterías han aumentado. Encontré una cafetería de casa antigua de madera, que tiene un patio pequeño. La dueña era simpatica. Estábamos muy relajadas.

先日、東京から友人が着たので、彼女を含め、宮島で3人が集まりました。
友人には、ずいぶんと会っていなくて、6年振りの再会でした。そして宮島は、わたしにとっては近場だけど、いったい、何年振り?最後は、4年前の潮干狩り以来かな。

今回は、社員旅行で来てくださった機会を利用しての再会だったので、会える時間はほんの数時間でしたが、たのしい時間を過ごしました。あいにくの雨模様だったけど、大降りにならなかっただけまだましかも。
友達には、案内した千畳閣を気に入ってもらえてよかったです。あそこは風通しが良くて、くつろげるんですよね。しめっぽい梅雨の空気の中で、開けっ放しの空間なのに、木が湿気を吸うんでしょうか。他にくらべてとても過ごしやすい気がします。そして、遠景まで見渡せる縁側に座って休んでいると、何気ない会話も特別に思えるというか、記憶に彩りが添えられて印象に残るというか、そういう場所だなぁと思います。好きな場所ですね。

久々に来た宮島は、噂には聞いていたけど、いろいろなお店ができていて、以前より「とどまっていたい場所」になったんだなと思いました。今回は、うまい具合に、お昼ご飯もそう待たずにあなご丼を食べることができ、お茶するところも、どこにしようか迷う余裕さえありました。(昔は、もみじまんじゅう店でお茶をもらうくらいしか選択肢がなかったような…)

さらに、とてもラッキーだったのは、鹿の子どもがいたこと。バンビちゃん…これまで幾度も来ましたが、こんなに小さい子に会えたのは、はじめてのことでした。


‘バンビちゃん’ くっきり白い、かのこもよう。
バンビちゃん1

‘はじめはおかあさんと一緒だった’
バンビちゃん2

‘境内の下で休んでた’ お母さんはどこに?お留守番なの?
バンビちゃん3


この日は大潮で、引き潮になるにつれ、鳥居のむこうには潮干狩りの人たちがけっこういました。いちおう観光地なんだけど…わたしもやりたいな…って、それ、たしか、2002年くらいに、オーストラリアの友達ご一家とここで過ごしたときにも、そんな状況だったような。

地元の友人お勧めで、岩村もみじ屋のつぶあんもみじを買って帰りましたが、おいしかった。生地に卵の味がちゃんとしてて、あんことの馴染みがよかったです。ほどよいしっとり感でした。これ、宮島でしか買えないみたいだし、いろいろ面白そうだったので、またあまり時間を置かずに訪れてみたいと思います。




| 日記・つぶやき diario | 01:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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