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東山魁夷展

‘東山魁夷展’ きっと、この馬は、妖精とか祈りとか希望なんだろうな。
東山魁夷展2016
Fui a la exposición de Higashiyama Kaii. Él era representativo entre el círculo de pintores de estilo japonés en el siglo 20. Nació en 1908 y murió en 1999. Los cuadros de estilo japonés se pintan por pigmentos minerales o polvo de chonchas o etc, mezclando con Nikawa (es una especie de gelatina). Me gustan los cuadros de Kaii, sobre todo ellos de bosque azul con cascada blanca, todos sus azules son muy profundos y bonitos.
Esta vez, pude ver los cuadros en fusumas que están en el templo de Tosho-daiji (en Nara) muy preciosos. Por lo que he leido, ahora está en reparación la casa que tiene estas fusumas. Así que el templo puede prestarlos al museo.
Estoy muy contenta, es que esas oportunidades no hay mucho.

やばい、もうすぐ終わる!と思って、東山魁夷展に、やっと行ってきました。9月17日から、広島県立美術館で始まっていたのですが、9月中は忙しくて行けず、10月に入ってからは、なんとなく失念していました。
東山魁夷といえば、日本の自然をベースに、ふわっとした空気感のある日本画で、特に白馬が緑の中を歩いているとか、青い森に白い滝とかが代表的でしょうか。
今回の美術展は、唐招提寺御影堂のふすま絵が来ているのが見逃せないところでした。
まだ、ご存命のとき、御影堂のふすまの前に座ってテレビのインタビューに答えている画家の姿を、幼心にも印象的だったみたいで、ぼんやりと覚えています。(年齢がバレるわね。)

その唐招提寺を4年前に訪れて、御影堂の中のふすま絵を見たいと思いましたが、何せ、ふだんは一般公開していなくて、ご開帳の日でないとダメなんだと、残念に思った記憶はまだ新しいです。たしか、御影堂の庭に、鑑真が中国から持ってきたという瓊花(けいか)という白い花があったっけ。
今回、このふすま絵が唐招提寺でないところで拝めるのは、この御影堂が今修理中だからなんですね。

御影堂の家ごと再現してあるわけではないので、桂林月宵、揚州薫風の2作品は、部屋の中の直角に隣り合うはずのふすまが離れていました。そこは、頭の中で再構築しなければならなかったですが、限られたスペースで、ちゃんと建具と畳もつけて、ふすま絵(裏表)をすべて見られるように展示されていたので、雰囲気はわかりました。奈良でみられなかったふすま絵を、まさか、広島でみられるとは思っていなかったので、感激しました。
魁夷さんが時を遡って鑑真さんの気持ちを思ったことがよくわかりました。わたしたちもまた、時を遡って、魁夷さんの気持ちを垣間見る機会を得ました。そういう意味でもおもしろいですね。

その他にも、ドイツや北欧に行って見たものをテーマに描いた絵(そういう、西洋的なモチーフは意外でした)や、いかにも魁夷らしい、青い針葉樹の森や白い馬の絵もありました。
西洋画を勉強していたからか、日本画といっても、油絵のような表現だなと思いました。でも、日本画展を見に行くと、どれもたいていそういう感じですよね。もう、材料だけの問題なのかと思うこともしばしば。日本画とは?とよく思うのですが、東山魁夷の考える日本画とは、は、ちゃんと書いてありました。ちゃんと覚えてないけど、自然と装飾性の落としどころというか、せめぎ合いのところの表現というか…(こんな言葉じゃなかったな。ざっくりイメージですみません。)

つくづく不思議だったのは、塗り重ねた顔料の、微妙なトーンや色の深みが、ぼやっと空気を作り出してしていて、近くで見ると、その色の違いはほんの少しでしかないようなのに、遠くから見ても、その微細な暗いトーンで、後ろの山の木々や手前の木々の差が立体的に分かること。
近くで見ると、意外と省略されて、幾何学的なかたちなのに、遠くから見ると、ふわっと輪郭がぼやけてトーンになり、写実的に見えてしまうこと。
顔料で描かれているからなのかなー。もちろん、技術がすごいのは言わずもがななんですけど。
やっぱり、杉などの青い樹々の絵が好きかな。静謐な青が、ほんとうに美しかったです。



| アート鑑賞 arte | 23:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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 こうの史代「この世界の片隅に」展(呉市立美術館)にて

‘劇場アニメ化記念に、美術館で原画展’ 映画は11月12日公開です
この世界の片隅に展160811
Fui a la exposición del manga. Esa tiene una significación del prólogo del estreno de la película.

マンガとアニメで見る こうの史代「この世界の片隅に」展を見に行きました。この秋封切り予定になっている、同名の映画のプロローグ的な意味を持つ展覧会です。
朝、墓参りを済ませたあとでこの展覧会に行ったのですが、墓苑の場所も、道中での母のおしゃべり(昭和20年7月1日夜からの呉空襲の話)も、ぴったりこの物語の舞台に重なっており、この日の2つの行事は、わたしにとって無理なくつながり、まるで身内の人のお話のような感覚で見ることになりました。

前売り券は、呉の中心街のいたるところ、小さなお店でも取り扱っているようでしたが、午前中わりと早い時間だったので、呉駅前の阪急ホテル1階で買いました。


主に漫画の原画展で、あと、アニメ製作について、背景をどう作っているかとか、見られる部屋がありました。
原画の後半の展示には、漫画を読まずに来訪した人のために、ここからは話の結末がわかるので、入るかどうかは自分で決めるようにという注意書きがあります。ネタバレの確認です。
わたしは、漫画はもう読んでいたのですが、久々に改めて原画を見て、読み進めていくと、ぼやっと読んでいただけでは気づかなかったこと(構成や描き方、技法など)に気づいたりとか、強いメッセージの部分を大きく表示してあって再確認できたりと、わかりやすく、この物語を再発見することになったなと思いました。
もう読んだのに、やっぱり最後の数ページの力は、ほんとうにすごくて、涙腺が崩壊しそうになりました。なんていうか、愛にあふれたメッセージ。戦争を扱っているし、厳しい現実も描いているけど、残酷さや厳しさだけ描くのでは、心はなかなか動かないのかもしれません。
戦争中の日常を描いた作品なのに、印象的な登場人物の言葉を読むと、意外にも今の時勢にも一致するなぁと思いながら見ました。


-- リンの台詞 --
「誰でも何かが少し足りないぐらいでこの世に居場所はそうそう無うなりゃせんよ」
今、世界中でいろんな理不尽な事件が起きるたびに、罪のない人の居場所がこの世から簡単に奪われることがあるということに驚き、怒り、気持ちが重くなって、社会を息苦しく感じます。でも、他人を許さない人は、自分も他人から許されることはないと思う。
本当に、この台詞を言われたら救われるし、自分からも人にこう言いたいと思います。

-- 水原哲の台詞 --
「わしが死んでも一緒くたに英霊にして拝まんでくれ、笑うてわしを思い出してくれ」
この言葉で、なんで自分が「英霊」という言葉を嫌いなのかが、少しはっきりした気がします。
徴兵されて死んで行った若者の心を想像すると、やっぱり、ほとんどは、英霊なんかに祭り上げられて死ぬよりも、本音はひとりの人間として生きたかったと思う。それが言えない時代、または本音にも気づかせてもらえないような狂気の時代に、消耗品みたいに命を消費させられたんですよね。一人一人の生きてる魂が尊いものだったのに、死んだら「英霊」になるという考えは、空々しい。まとめて物々しい化粧箱に入れられて、別のものにすり替えられた感じがして仕方ない。死は、美じゃない。尊かったのは、生きてたその人たちだったろうに。
政治家が、気軽に「英霊」と言う言葉を使うたび、「けっ!」と吐き捨てたくなるのは、そういう欺瞞を感じるからだと思いました。



最後に、母が話した空襲の話も、書き留めておきます。でないと、そのうち忘れてしまうので。
・母が当時住んでいた家は、呉の中心街だった。
・呉空襲の夜、和庄の防空壕に行く予定だったが、出遅れてしまい、もう入れないとの
 ことだったので、すぐ上の姉と一緒に、遠い二河の防空壕に向かう。
 (最短ルートでも2kmくらい?)
・現在は二河公園となっている場所が防空壕だった。縦に穴を掘って、上に屋根を
 つけたタイプだったという。たぶん、いくつもあった。
・鶏を抱いて逃げてきていた人がいて、朝になると、暗くてもそれが時を知らせたのが
 可笑しかった。
・空襲で家は焼けたので、数日、山手町あたりの祖母(母の母)の友人の家に一家で
 身を寄せたが、その家も苦しかったのか、大変雰囲気が悪く、いたたまれず日中は
 二河川のほとりでぼんやり過ごした。子ども心に、みじめだなと思い、戦争は
 イヤだと思った。
・その後、家族で祖母の実家に帰る。これ以降、祖母の口から山手町の知人の話は
 一切出てこなくなった。
・次姉が和庄の防空壕で亡くなったと知る。

母の呉空襲の話は2008年にも書いています。

| アート鑑賞 arte | 00:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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チームラボ☆アイランド@広島に

チームラボといえば、プロジェクションマッピングなどで有名な技術集団で、代表者の猪子さんが、たまにテレビで「日本のジレンマ」とかで熱く語ってたりする姿を見かけることがありますが、そのチームの作品展「踊る!美術館と、学ぶ!未来の遊園地」がこの夏全国各地で開催されています。
広島では、7月27日からNTTクレドホールで開催されているので、この週末に見に行きました(内容はこちら)。デジタルの世界を見たり聞いたり触ったりして楽しむ、体験型アートというか、学習というか、とにかく面白かったです。真っ暗な通路から入るので、ちょっと直島の現代アートを思い出しました。


‘クリスタル・ユニバース’ カメラ忘れて、モバイルで撮った。ボケた。
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Fui a la exposición del TeamLab. Es un grupo de trabajos digitales. La actividad típica es projection mapping. Este verano, ellos celebran unas exposiciones para ver artes, tener experiencias, y estudiar algo por las obras digitales. En Hiroshima también podemos verla. Me gustó mucho, fue muy interesante.

やっぱり、圧巻はクリスタル・ユニバースだったかな。これがフィナーレなんだけど。こういう、体験型アートって、やっぱり、作ったものそのものだけじゃなくて、人がそこに入ることで、目に映るものがアートっぽくなるというか。断然、人が入るほうがいいんですよね。


‘お絵描き水族館’
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子どもは、飽きない子はずっと留まっていそう。大人のわたしたちでも、けっこう飽きずに留まって見ていました。
「お絵描きタウン」「お絵描き水族館」は、絵を実際に描いてそれをスキャンし、ほんとうに画面でそれが動いてくれるというもの。子どもが大勢、一生懸命描いていました。


‘つくる!ぼくのケンケンパ’
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デジタルの「つくる!ぼくのケンケンパ」は、美しかった。○や△が踏まれて、きれいにグラフィカルに散って、色が変わります。


‘まだかみさまが いたるところにいたころの ものがたり’
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「まだかみさまが いたるところにいたころの ものがたり」は、動画で、イメージとしては、昨年の大河ドラ「花燃ゆ」のオープニングイメージにちょっと似てると思いました。(あれも、チームラボの作品だったと思う)
上から象形文字が降ってきて、それに触れると、それが示す意味のものが絵として現れ、動く風景画を作っていくというもの。漢字の成り立ちが覚えられるし、美しいので飽きません。子どもたちが、夢中で跳んでは触っていました。でも、月、太陽、雪、動物、山、鳥などが現れて喜んだのもつかの間、絶えず動きながら消えていくさまは、森羅万象、全てはうつろいゆくものですよ、というメッセージのようにも思えて、楽しく贅沢な子どものあそび学習アートなのに、勝手になにか仏教的なものも感じてしまいました。枯れてるわね。

中高生は少なかったような気がするけど、夏休みに涼しい所に行きたい親子とか、おすすめだと思います。わたしは大人だけで行きましたが、結構満足しました。チケットが、一般的なプレイガイドで扱ってるような情報がなく、セブンチケット以外は展覧会入口で当日券なのかなぁ…というのと、見終わった後に、出口に置いてあった手洗い用の液体の容器が、ハンドソープだったのが、ちょっと残念だった(アルコールにしてほしかった。そこから水道まで距離があったから)けど、それくらい。よかったです。9月4日まで。

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近況など

‘川辺の紅葉’ナンキンハゼ
紅葉ナンキンハゼ151024
Ya estamos en otoño. Las hojas se están cambiadas el color en roja o amallira.

最近、めっきり美術展などにも行ってなくて、精神的な豊かさからの観点として、なんとなくマズイな〜と思って、9月末から10月中頃までに、2つ美術展に行きました。ただ、そのことをここにさっさと挙げていないということ自体が、だいたい示していると思いますが、それなりになにか感じてはいるのですけど、それを記しておくエネルギーは失われているというか…感性が鈍っているのかもしれません。鈍った頭で、忘備録として、いちおう書いておきますと、

◆ライフ=ワーク展(広島現代美術館)
戦争の記憶や平和への思いを通じて生活の中で作り上げていったしごと編、というのかな。9月末に見ましたが、これはやっぱり、8月に見ておけばよかった展覧会でした。そうしてみると、やはり8月は特別に感覚するどくなる月なんだろうなぁ。
殿敷侃さんの点描の、お母さんへの思いが伝わってくる作品とか、石内都さんの写真を見られたことがよかったです。

◆歌川芳国展(広島県立美術館)
江戸末期の浮世絵。点数がたくさんあって、大胆な構図のものが多くてたのしかったです。
数年前に、「浮世絵の美」という、版画の変遷をよく示していた展覧会を見ていたので、江戸後期の青い色だなぁと思いながら見ました。主役じゃないけど、彫り師の人って、すごい。あんなに細かく彫れるなんて。誰かが、ほんとうにすごい仕事は無名の仕事だ、って言ってたような…。芳国という人を通して、今わたしたちがこれらの作品に感動している何割かは、そうした仕事へのリスペクトじゃないかとも思いました。アイディアとその実現のプロジェクトね。

歌川芳国151011


そのほかの近況としては…
◆ラグビーとフィギュアスケートグランプリシリーズ開幕、このへんはなんとなく、テレビで断片的に見ていました。体操世界選手権はもう少し、早い時間だったらなぁ…興味あったんだけど。

◆陶芸教室の先生に勧められて、Eテレ、日曜美術館の再放送、日本の伝統工芸のリポートを見ました。和紙で絵付け…これ自分でも試せるかも、と思いました。伝統工芸のようなわけにはいきませんけども。全然外れますが、こういうテーマで井浦新さんが広島を訪問してくれてたのは、なんだか嬉しいです。

◆今年は紅葉が遅いような気がします。あまり寒くならないからかな。週末になると、カメラと一緒に歩きます。

◆昨日、この秋はじめてヒドリガモの群れを見ました。いらっしゃい。コガモ(っていう種類のカモ)は10月5日にはじめて見たのだけど、渡ってくる時期は同じじゃないんですね。先週くらいに、河の遠くに大きな群れが到着しているのを朝見たんですが、その子たちかな。これから、カルガモたちとにぎやかに過ごすんですね。観察はちいさな楽しみのひとつです。

◆自作カレンダー
今年も作る予定です。めずらしく、テーマはもう決まっているんですが、まず、ひとつを完成させてお見せできないことには…近々やろうと思いますので、興味ある方は見てやってください。よろしくお願いいたします。

| アート鑑賞 arte | 18:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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熊谷守一展@ひろしま美術館

‘熊谷守一展’ あいにくの雨だったけど、けっこう人が来ていました。
熊谷守一展140413-1
熊谷守一展140413-2
Fui al Museo Hiroshima para ver los cuadros de Morikazu Kumagai. Era pintor japonés que nació en el 1880. Se daba mucha infruencia de estilo fauvismo. Él amaba la naturaleza, los paisajes cotidianos y pequeños. Las obras suyas me han dado algún sentido extraño... eran muy planos pero no ligero, eran abstractos y omitidos pero puedo sentir los movimientos de los motivos. La impresión por una mirada me hace malentender como si pueda pinatarlo facilmente, pero por la segunda mirada, ¿porqué me fascinan tanto así? Entiendo que no jamás podemos pintar como así.

熊谷守一展に行ってきました。友達が「よかったよ」と言っていたのと、以前、テレビで、この画家の描いた猫が紹介されていたのを見たことがあったので、興味がありました。でも、この方の人生と時代背景のことは、全然知りませんでした。

東京美術学校時代や、若い頃の作品は、日本も西洋に追いつけ追い越せと必死だったんじゃないか、と思わせるような、フォービズムっぽい絵が多かったです。日本の西洋画壇が明治時代から本格的に西洋画に取り組んで、1910年代くらいにフォーヴをやってる人がいたのだとすると、すごい勢いで西洋を追いかけてたのかな、と、いまさらですが思いました。

その後、平面的な絵に移行して、「モリカズ様式」というスタイルを確立していくのですが、その様式の作品を見ていてとても不思議な感覚に陥りました。
とっても平面的で、陰影もなく大胆に省略してあるのに(マティスとか共通点あるなあと思うのですが)、ペラペラな、うすい感じがしないこと。カエルや虫の足なんて、もう線だけの表現。そこまで省略しているのに、ちゃんと動いて見えること。チョウは飛んでいるし、カエルは跳ねてるし、雲は流れているのです。
確かに色はとてもきれい…でも、赤い線で区切って、塗り分けてるだけだよ?…なんで、作品が軽く見えないんだろう。どうして、こんなに魅力的に見えるんだろう。簡単に描いてるように見えるのに。
実際これって、自分が描いてみるとしたら?
そういうことを、自問自答しながら、この不思議な感じの正体をみつけたくてたまりませんでした。

そこで、思ったのですが、あの微妙なギザギザをのこしたラインが、ちょっとズレても、あのバランスが崩れるんだろうな。もしあれが、筆跡ひとつのこらないキレイさだったら、あの味はたぶん生まれない。熊谷守一は、ずーっと小さな自然を見つめて、飽きることがなかったそうですから、アリならアリの、桜の花の塊なら塊の、一番いい動きや形を知っていたと思います。ちょっと、デザイン的でもありました。少しですが、水墨画や書もありました。
おもしろいエピソードとして、仲間と厳島に団体でスケッチ旅行に行ったおり、風光明媚な景色をモチーフとして好まなかった守一さんが、どこかに置いてあったなすびを描いて、仲間をびっくりさせた、というのに、ちょっと笑ってしまいました。お金や出世に興味がなく、石ころをずっと見ていても飽きないで、絵を描くのはその延長上のことだったみたいなので、貧困で子どもを失うという悲しみはあったものの、なんとなく、幸せな人生だったのかなあ、という印象を受けました。

個人的には、フォービズムの影響を受けた画風は大好きで、この展覧会のどの絵も大変気に入りました。特に好きだと思ったのは、コップに活けた水仙の花の絵、台所の水場の野菜の絵、盲目のネコ、夕陽の島の絵など。





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