奈良方面へ。
午前中は、三輪の大神神社へ行きました。JR三輪駅から、昔なつかしい感じの商店街を通って参道に出ると、お祭りのときのような露店がいくつも準備されているところでした。
‘大神神社’

El santurario sintoista "Ohmiwa-jinja". No tiene la casa de dios, sólo tiene capilla sintoista. Es que se cree que dios viene a la colina de Miwayama donde está detrás de la capilla.
ご神体は三輪山なので、本殿がありません。宮島の厳島神社も、弥山がご神体なので、もともとは拝殿しかなかったと聞いていますから、そんな感じじゃないでしょうか。ここで、神頼みのお守りをやたら買いました。(笑)
拝殿しかないとは言っても、隣に、なでうさぎのある参集殿や、大きな祈祷殿があり、さらに、山裾を少し歩くと狭井神社があります。ここら全部が大神神社の境内なので、とても広いです。祈祷殿では、この日が昭和の日ということもあって、大きな茶会が開かれており、優美な束帯姿の神職者、武者小路千家の関係者と思われる方々が入っていくのが見えました。
‘狭井神社でのご神水’

En el barrio de Ohmiwa-jinja, hay otro santuario que se llama “Sai-jinja“, y hay agua manantial. Es sagrado, pero podemos beberlo. Yo también lo bebí. Frío y suave, me quitó cansancio.
わたしも、少しいただきました。すごくやわらかい水だったです。昔から、お参りに来た人をリフレッシュしてくれるお水だったんでしょうね。最近は、これをミネラルウォーターのようにたくさん持っていく人がいるみたいで、そういう水ではないから遠慮してくれ、という旨の注意書きがありました。
境内の横に三輪山登山口があり、そこから登れるようでしたが、休みなく普通に登って降りても2時間かかり、意外と険しいということで、今回は下から眺めるだけにしました。
‘展望台から、桜井、橿原方面を臨む’
天香具山、畝傍山、二上山が遠くに見える

La cuenca de Nara es muy histórica. Casí todas colinas que se ve aparecen en los waka(poemas antiguos y muy cortos), y casí todas masas de árbles que se ve son tumbas antiguas. Ahora este barrio es canpecino y tranquilo.
ぽこぽこある丘のような山がすべて、万葉集などに詠まれてる超有名な山だったり、ただの林かと思ったものが、だいたい古墳だったりするのが、奈良のすごいとこですよね。
お昼は三輪で、にゅうめんと柿の葉寿司を食べ、午後は、電車に揺られて、三輪山からつづく黄緑と濃い緑でパッチワークされたような山を眺めながらJR天理駅まで戻り、そこから近鉄で西ノ京へ。(昼食を三輪で済ませたのは正解だった。西ノ京は、飲食店が少なかったから。)
‘薬師寺’

El templo “Yakusiji“ en el pueblo de Nishinokyo.
初めての薬師寺でした。なんといってもでかい!広い!国宝目白押し。東塔は、まだ修復中で、テントが張られていました。東院堂と、金堂で、お坊さんのかんたんな説話を聞くようになっていました。金堂の、薬師三尊像は、教科書に出てくる超有名な仏像だけあって、よいお姿をしていました。台座に刻まれている模様や文字が、ギリシャやインド、中国の文化を感じさせるもので、仏教の伝来からまだそう多くの時代を経ていない、エキゾチックな印象を受けました。
玄奘三蔵院に入れたので、そこで数点、平山郁夫のシルクロードの絵を見て、西側の門から出ました。
‘豪華な牡丹の花’ 寺を出る前の、本坊事務所前から西への通路脇

Peónias arbóneas estaban florecido. Creo que la combinación de los colores de las peónias, rojo, verde, blanco tiene comunidad a los construcciónes. Además ambos tienen imagen de China. Ellos se caen bien a estas flores.
薬師寺の、赤、青緑、白の建築と、牡丹の赤と緑と白が、イメージ重なって本当によく似合う。
歩いて唐招提寺へ。
海のとなりはもう山、という風景に慣れているわたしにとっては、このあたりの風景は、平かでのどかで、なかなかよかったです。春日山のほうまで、何も遮る物がない。
‘唐招提寺金堂’ ここも初めて。

El templo “Toshodaiji“ en el pueblo de Nishinokyo
2010年公開までに、10年かけて大修復をした金堂は、どこを修復したのかわからない落ち着いた色でした。数少ない盧舎那仏がここにはあるんだな、千手観音の手の数、ハンパないな、などと思いながら、さらっと見たのですが、講堂の中で展示してあった修復の模様の写真を見て、すごい!と思いました。一から立て直すより難しげな、こんなに大掛かりなら、10年かかるのもうなずけるし、さぞかし苦労しただろうと思いました。建物の瓦葺きの前の様子をテレビでみたのは、ここだったんだな。でも、あの新しい白木の色は、いっさい表には出てなくて、あたかもずっとそのままであったようなたたずまいです。それは修復だから当たり前なんだろうけど、職人さんたちの努力とは相反するように、「さらり」とした風情で今ここにある様子は、やっぱりすごいし、かっこいいの一言です。
金堂の修復だけでなく、仏像の修復もあり、個人的にウケたのが、「盧舎那仏像がはじめて金堂を出る」ということばと、グルグルに包帯された盧舎那仏像がほんとうに運ばれてる写真でした。気の遠くなるような時を経て、外に出られたんだなー、そのとき仏様はどう思ったんだろう。と思うと、何か可笑しかったです。
あと、千手観音像の脇の手を全て外して並べた写真がありました。その手の多さに圧倒されました。全て数えはしませんでしたが、これで10本、というかたまりでざっと追うと、ほぼ1000本あるんじゃないかと。あとで、現在953本と知りましたが、それだけあるならきっと始めは1000本あったんだろうと思います。「千本といったら、千本作るんじゃ!」と言ったかどうかは知りませんが、作り手の執念を感じました。
‘瓊花’

Keika... es una flor de que el superior bonzo Ganjin la llevó de China antigua. Él vino a Japón después de muchos dificultades y penas, intentó 5veces de viajes a Japón. Para enseñar budismo, la sexta vez, al final llegó a Japón.
残念ながら、鑑真和上像と、東山魁夷のふすま絵がある御影堂は、開帳の日でないと見られませんが、庭には入ることが出来て、ここにも桜と橘がある…と思っていると、みんながある花に寄ってたかっていたので、何かな、と思ったら、「瓊花(けいか)」という花でした。鑑真が好きで、日本に持ってきた花だそうです。アジサイに似ているけど、もっと木立でした。香りあるらしいけど、この時、そんなに感じませんでした。骨を埋める覚悟で日本に渡ったのちは、この花を見て故郷を思い出していたのでしょうか。
‘鑑真和上の霊廟内’

En el barrio de la tumba de Ganjin
この日の奈良は、どこもとてもよい印象でした。