2012.12.31 Mon
今年思ったこと、今年最後のつぶやき
‘暮れゆく2012’ 灯りを見上げる人の心の内はそれぞれ。

今月初め、
「今年も、12月に入りましたね。」
というテレビのアナウンサーの言葉に愕然として落ち込む。そして予想通りあっという間の年の瀬だ。
腐海の森の底で、どうやって出たらいいかわからず途方にくれて、堂々巡りしているような1年だった。思ったより元気も出ず、後半はぬかよろこびと失望のくりかえし。いったいなんだったんだろう。マジでナウシカのレクイエムが頭を回る。
一年が早い早いとはいっても、これまでは、単にもっと早くなったと思うだけだったのだけど、今年は本当に、意識が追いつかないというか、そのまま自分だけ取り残される感覚が強かった。できれば、他人の時間を止めて、自分だけ追いつく時間がほしいくらい。
世情の変化を受けて、変わる必要があると、いろいろな方面から叫ばれているし、私自身も変わらなければならないと思ってはいるのだけど、人間、変わるのは、思うより容易ではないことを思い知らされた1年でもあった。なかなか変われない自分への失望感も大きい。
このまま、状況が好転しないと、今の生活もいずれ壊れてしまう、という不安は拭えない。
それでも、もしかしたらいずれ変われるかもしれないという、心のどこかに希望がある。それは根拠のない希望ではあるけど、おかげで自分をなぐさめ、だましだましでも、なんとか日々を保っていられるのだと思う。
こういう日々の中では、家族や自分のためにごはんを作ったりというような、日常のどうってことない役割が、自分を助ける。そういうことで、かろうじて精神を保てる。料理じゃなくても、自分が好きな役割なら、なんでも助けになりうると思うが、自分にとって、それがよいのは、
・気分転換になること。
・工夫のしがいが多岐にあること。
(……例えば、美味しいものを安く作るとか、調理法とか)
・ちゃんと作れば、ちゃんとやっただけの結果が出ること。
(……この世に、やっただけの結果が出ることは、そうあたりまえのことでは
ない。だから貴重なのだ)
・食べヂカラは、生きヂカラ。食べたらとりあえず大丈夫ということにする。
先日読んだ「三月のライオン」第8巻のあと、羽海野チカさんがどこかで、行き詰まると料理すると書いてたり、今日テレビでチラ見した、サラメシでの角田光代さんが、スランプ期に料理をするようになったことを言ってたりしてたけど、「うんうん!本当に!」という内容で共感できた。
ただ、「じゃあ大丈夫だね」と他人から突き放されたら、心中で涙目になる。「料理つくってるから未来も大丈夫」なんて自信はない。やっぱり来年こそは、この状況から脱したい。
| 日記・つぶやき diario | 00:11 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑