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100分de名著 − 「荘子」より 受け身こそ最強

‘白い百合’
百合150606

引き続き、100分de名著の「荘子」について、思ったことを書きます。

2.受け身こそ最強の主体性
テキストの、この題目からして、なんかすごいですよね。
…だって、完全な受け身こそが、本当の自由だ、って言ってるんですからね。
大胆すぎて、「わぁ」…と、少し驚き、くすっと笑いが出ました。

でも、ここで言う「受け身」とは、
「わたし決められないから、あなたが決めてよ」
「お母さん、わたしどうすればイイ?」
「アイツ、いつも受け身で、他の人にやらせてばかりだ」
とかいう受け身とは違います。

「受け身こそ最強の主体性」というのは、外側で起きる変化をすべてを受け入れられる柔軟さをもってこそ、最強の主体性が得られる、ということだそうです。
これについて、番組の中では伊集院光さんが、「あっ、これ、タモリさんだ!」と言っていたのが印象的で、なるほどそれはわかりやすいなと思いました。

自ら難事に飛び込んでも、または飛び込まなくても、生きてれば、避けて通れないことがある。思ってもみないことが自分に降って来て、どうしても自分がそれをかぶるしかないことがありますよね。そういうとき、その状況をするっと受け入れられる人のほうが強いってことかな。そこで卑屈になってるようじゃ、主体性があるとはいえないのかもしれません。(書きながら耳が痛いが)

しあわせって何だっけ
テキストのなかで、とても興味深かったのは、玄侑宗久さんが、日本語の「しあわせ」の語源、そもそもの意味を語ってくださってたことです。荘子や禅の考え方「まわりが変化したので私も変化した=やむをえず」を良しとする考えからできた言葉なのではないか、と言っています。
しあわせは、奈良時代には「為合」と書きました。為して合わせる。その主語は神だったので、これはほぼ「運命」という意味だったのだけど、室町時代には「仕合」と書いて、主語は人間になりました。「相手がこう来たから、こう合わせる」という意味になっていたそうです。これって、完全に受け身で、折り合いをつけてる感じですよね。

そうかもなー。
派手なことはなくても、まわりの人や物事と折り合いがつけられる毎日なら、幸せなのかも。
夢の実現とか、望みが叶えられる幸せっていうのも確かにあって、若いうちはそこばかり見てしまうけど、もしそれが実現したとしても、感謝する対象が、自分もしくはラッキーをくれたであろう神さま(運)だけだったら、たぶん一瞬にして空しくなりますよね。

| 日記・つぶやき diario | 00:39 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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100分de名著 − 「荘子」より 渾沌王の話

‘柘榴の花’
柘榴の花150606


先月のEテレ「100分de名著」のテーマは、遠い昔、高校生くらいの時、ぼんやり名を聞いたことのある「荘子」でした。
例のごとく、現物を読まずして、テレビとテキストだけでわかったつもりになれて、満足です。(^^)
具体的な寓話を交えながら、ちょっと不思議なオチの物語を読んでいるような気分になれる「荘子」、テレビは、本当に飽きずに楽しめたので、早くブログに感想を書きたいと思っていましたが、番組のテキストを読了するのが遅くて、なかなかここに書けませんでした。
やっと読み終わり、このテキストだけでも、日頃思っていたことがさらりと集約されて書かれていたり、はっとすることがあったので、主に4、5点ほど自分の思ったことと合わせて語っていきたいと思います。荘子そのものは読んでませんから、玄侑宗久さんが書いたテキストの感想として書きます。一度に書けないので、1つずつ書いていきますね。

1. 人為はむなしい

渾沌王の話
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南海の帝を儵(しゅく)といい、北海の帝を忽(こつ)といい、中央の帝を渾沌(こんとん)といった。
儵と忽とはときどき渾沌の土地で会ったが、渾沌はとても手厚く彼らをもてなした。
儵と忽とはその渾沌の恩に報いようと相談し、
「人間にはだれにも(目と耳と鼻と口との)七つの穴があって、それで見たり聞いたり
食べたり息をしたりしているが、この渾沌だけはそれがない。ためしにその穴をあけてあげよう」
ということになった。
そこで一日に一つずつ穴をあけていったが、七日たつと渾沌は死んでしまった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―

このお話って、いろいろな解釈ができそうですよね。
人間が持つ五感の感覚さえも、無為自然ではない、とか、
刹那のことしか見えていない人間が浅はかな考えでやったことが、大局を台無しにするとか。
これを読んで、わたしは「完璧を否定してるのかな」と思ったのだけど、そういう解釈もあるんでしょうか。
1日1個だけ穴を開けていったのだったら、おそらく6日目までは全然悪くなかったわけですよね。なのに、最後、完璧にしたら台無しになった。

たとえば、今日の身近なところでいえば、仕事上で、完璧主義者が周囲の人にも完璧を求めているシチュエーションに遭遇して、
「他人を思い通り完璧にさせることができると思った時点で、もうアンタ完璧じゃないのに」
と思ったことがありますが、個人で完結する完璧についてもたぶん同じで、妄想ですよね。そのとき、完璧に見えてるだけじゃないかと思います。完璧を目指すのはいいことかもしれないけど、頭の片隅のほんの少しの隙間に、「も・う・そ・う♡」って囁かせておいたほうが、救われるかもね。

老荘思想は、仏教伝来よりも前に生まれ、仏教が中国に入ってきたとき、もとよりあるその思想の用語を使って解釈されたために、のちの禅に大きな影響を与えたんだそうです。
そういえば、岡倉天心の「茶の本」に、東洋の芸術について、わざと完璧にはしないんだ、という考えが書かれていたと記憶しています。それには禅が深く関わっていて、たとえば、書とか日本画の、すっと抜けた余白を取ってみても、もとをたどればそういう考えとリンクしているのかもしれないな、と思いました。

| 日記・つぶやき diario | 00:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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今日の陶芸

‘一見、合っているように見えるのだが’ あ、本体は昔買ったものですからね。
陶芸150620


今回は、皿などは上がってこず、急須のフタが上がってきました。以前作ったものより、持ち手はつまみやすいものになってきましたが、さて、持っている急須本体にぴったり合うでしょうか…
かぱっ。うーん、すごい惜しい。直径があと1ミリ小さければすっぽりはまったのに、ギリギリはまりません。(泣)これで3回目の失敗です。口を塞ぐことはできているので、無理矢理なんとか使えないこともないですが、使いづらいにはまちがいなく、また、作り直すかしら…
作り直すにしても、これまでブレンドした土で作ってたので、もうあれと同じ配合では作るのは難しく、そのことはまた、焼き縮み具合が変わるかもしれないことを意味しており…(もう、新しいの買おうよ、って声が背後でしてる)

本日の作陶:
はっさく土と古陶(細)(5:2)くらいで、手びねりで、表面に曲線のテクスチャありの花瓶をひとつ。白マット釉の予定。小鳥の小さな飾りを同じ土で作陶。わら白釉の予定。ピンにくっつけられたらいいな。(即席でつくったので、これはたたき台のつもり)

| 陶芸 ceramicas | 19:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ゴーヤーの白和え

‘ゴーヤーの白和え’ やみつきになる。
ゴーヤーの白和え150614
El shira-ae es un tipo de ensadala japonesa por usar tofu, es un plato muy típico de Japón. Hacemos pasta de tofu, y lo mezclamos con verduras cocidas. Lo sazonamos con miso, sal, azucar. Yo echo sesamo también.

ゴーヤをチャンプルー以外で食べる方法を知ってからは、気軽に買うようになりました。といっても、白和えとおひたしくらいですけどね。肉詰めとかもやったことあるけど、作り方が下手なのか、苦みが立つ気がして、あまり好みませんでした。
白和えやおひたしは、ごく薄切りにしたゴーヤーにさっと火を通して使うため、時間があまりかからないのでよくやります。出汁をからめてやると、苦みがうまみになってきて、やみつきの味になります。
このやりかた、たぶん、ためしてガッテンかなんかで手に入れた情報だと思います。
これだな。
ゴーヤーの白和え

わぁ、そのレシピよく見たらツナとか入れてるんですね。わたし、ぜんぜん入れてません。でも、それでも満足してます。(白みそ、ごま、昆布茶は入れます…)
ゴーヤーの何かほかの食べ方、誰か知ってます?知ってたら教えてください。

| クッキング mi cocina | 19:34 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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梅干し作り/産物の多すぎる名称とか

‘梅干しづくり’ いちおう南高梅です
梅干し作り2015
Ya estamos en la temporada de lluvia, suelo preparar "umeboshi" cada año. Es ciruela japonesa en sal como una comida conservada. Al terminar la temporada de lluvia, la secaré abajo de la luz fuerte del sol. Sabe muy fuerte por acidez y sal.

安かったので、佐賀産の南高梅。
これって、和歌山の人からすると、どうなんだろうと思いつつ。でも、南高梅自体が品種名なんだったら、名称に問題ない。ブランド名だったら問題あるかもしれないけど。
農産物でこういう疑問はいくつかあって、特に悩ましく思っているのが柑橘類です。
柑橘類は大好きなのでよく買いますが、特に日向夏系と河内晩柑系は、異なる名前がゴロゴロしており、消費者にとっては紛らわしい。
日向夏・ニューサマーオレンジ・小夏などは、種類としては同じで、河内晩柑・美生柑・ジューシーフルーツは同じ。もちろん、産地によって、風味のイメージに差はあるんですけどね。
地元農産物の価値を高めたいのはうなずけるけど、ブランド名と一般呼称は分けといてほしいのが、消費者のひとりとしての願いです。

それはさておき、今年の梅は、十分干せる気候になるでしょうか。ちゃんとハッキリした梅雨明けを待っています。

| クッキング mi cocina | 23:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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バジルの苗

‘バジルの苗’ いただきました。
バジル150607
Mi amiga me dio unos plantones de albahaca. Eso me alegró mucho. Voy a crecerlos y utlizar para cocinar.
Al principio, he preparado Gaprao(Stir Fried Pork with Holy Basil).
Cuidando los platones, voy a utilizarlos poco a poco. A ver si hacer alguna comida italiana por la próxima vez...

友達からバジルの苗を数株いただきました。
すごくいい香りです。とりあえず、手持ちの鉢に植え替えて、これから夏に少しずつ楽しんで使わせてもらおうと思います。
昨年は1株を鉢植えしていましたが、何もせずにいたら、上へ上へと伸びていき、葉っぱの量自体はあまり増えなかったので、今年は下方の芽を残して、トップの芽を摘んでみます。うまくいけば、脇芽が伸びて、枝分かれしてくれるんじゃないかと。

まずは、少し摘み取って、ガパオライスを作ってみました。本当はホーリーバジルという、ちょっとちがうハーブで作るみたいですが、スイートバジルでも大丈夫とのことだったので、これでやってみました。
味付けにナンプラーを使うので、魚臭いなあ…と思いながら炒めているところに、バジルが入ると、そういう嫌味なところが消えるんですね。
植えたバジルの生育を見ながら、じきにパスタとかもやりたいと思います。
よいものをいただき、ありがとう。

| 日記・つぶやき diario | 23:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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