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マイケル・フランクスの詞に見る死生観

‘ジャケットのイラスト’
タイム・トゥゲザー

今回、マイケル・フランクスのアルバム「Time together」を聴いて、余談になりますが、ジャケットイメージと歌詞についても、少し思うことがあったので、そのことについて少し書こうと思います。英語が得意でもないのに、我ながら無茶だなとは思いながら、しかも、亡き人を忍ぶ歌の歌詞について、…って、誰が読むんだろう、これ。でも、とにかく、自分の心の琴線に触れたので、書き留めておきます。


ジャケットのイラストは、Kristina Swarnerという方が描いてるのだそうで、彼女は、これと似たイラストを他にも描いてますけど、これは、このアルバムのために描かれたもののようです。
この絵を見た時、なんだか引きつけられました。
わたし、人生は川下りをする小舟に乗っているようなものじゃないかと思っていて、そういうのを自作カレンダーにも、「花筏」として6月に盛り込んだりしていたので、上記のイラストを描かせたマイケル・フランクスも同じような考えの人なのかなぁ、と思って、親近感を覚えました。Kristinaさんの、赤い葉っぱや光が降り注いでいるのが、幸せの象徴みたいで、気持ちがほわっと温まります。

ライナーノーツを読んでみたら、収録曲の1つ、「Time togegher」は、亡くした愛犬を忍んで歌っていて、このジャケットの小舟に乗っているのは、フランクス夫妻とその犬なんだそうです。
マイケルは、家族が同じ舟に乗っているイメージを持っているんですね。(わたしは、どちらかというと、めいめいが1つの小舟か葉っぱに乗っていて、家族とかは、一時的につながれてるけど、いずれは1人になるイメージを持っています。)

うう、この歌って、けっこう泣ける。犬を飼ってなくたって、そのまま大切な人に感情移入できるので。やさしく語りかける歌い方が、さらに泣かせる。



Someday when all our hearts
Are reassembled
Love will connect us once again
And we'll resume our time together

切ない中にも、time together の言葉は、なんか前向きというか。
この詞を読んで感じたのは、亡くした人と、実際にはもう一緒にいる時間はないはずなんだけど、自分の内面には、今現在もたしかに刻んでいるtime togetherの感覚です。



過去の作品になるけど、彼の作品に「Like water, like wind」という、トム・ジョビンを忍んだ歌もあって、これには、

「どうして僕たちは、水のようにしばらく漂って、
ただ風のように消えてしまうのだろう」っていう歌詞があります。

Water we travel on in search of love
Like times of lifetime
Wind which returns our soul
To that far country at the river's end

Like water, like wind
Where time, for once, suspends
Like water, like wind
Till we begin again

このあたり、うまく訳せないんだけど、

愛を探して水のように 僕たちは人生から人生へと旅する
風のような僕たちの魂は 川の終わりにある遠い国へと戻っていく
水のように、風のように
時は一度止まって
水のように、風のように
再び僕たちが始めるまで

…かな。


この詞に東洋的なイメージがあるような気がするのは気のせいでしょうか。もしかしたら、なにか、道家思想とか禅のような何かに触れたことがあるのかな…と思いました。

こんなことばかり挙げると、こんな歌詞ばかり書いているのかと思われそうですが、もちろんそうではなくて、元気な詞もあって、他にもなかなか興味深いです。英語があまりよくわからないわたしでも、時々、「なんか月並みじゃない気がする、詩的な心地よい韻の音がする…イイ感じがする…!」と思うことがあります。ほとんど「気がする」感覚で終わってるのが悲しいですけどね。この人と、アート・リンゼイの書く歌詞だけでも、全部ちゃんと調べたら、少しは英語の勉強になりそうなんですけどね。

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「タイム・トゥゲザー」(マイケル・フランクス)を聴いて

Time togetherより、Now that the summer's here/Michael Franks

Me gustó este album, “Time together“ de Michael Franks. Su musica era mi favorita, pero hace más 10años me alejé. Esta primavera recordé lo de él, y creí que ¿cómo está ahora? Entonces compré el último álbum. Fue muy mejor que imaginaba. Creo que las canciones son muy equilibradas y el son de guitarra muuuy bueno. Me hace relajada como si estuviera en un lugar turístico de verano, muy agradable.


最近、音楽の話題となると、つくづく感じるのが、
「以前より聴かなくなった」とか、「以前ほど思い入れがない、感動しなくなった」ということ。
受け取る感覚のポジフィルムが、繊細なところまで反応しなくなってきてるんでしょうかね…さびついた感受性は、最近の音楽市場の落ち込みにも、不本意ながら加担していることになりまして…。
まあ、とにかく、佳い音楽を聴いて心豊かにしよう、っていう心のゆとりが、年代とともに難しくなってきているような気がします。忙しいと、真っ先に削り取られる時間なんですよね。ほんとは、じっくり聴くことって、大事なことなんだろうけどな。


ちょっと古くなりますが、昨年末、自作カレンダーを作りながら、せめてもの気晴らしに、CDを聴きながらルーティン作業を進めていてたときのことです。新しいのを開拓してないもんだから、おなじみのお気に入りのを数枚聴いていたんですが、その時、はたと気づいたのは、
「あ、みんな死んでる…」
でした。そんなにお爺さんの音楽ばかり聴いてたわけじゃないんだけど(レイ・ハラカミさんとか、フジファブリックの志村さんとか若かったから)
あぁ、ケニー・ランキンが亡くなったのも、つくづく惜しかったな…

そんなことがあった後、この春、「そういえば、マイケル・フランクスはご健在なのかな」と思い出しました。AORの代表格で、ボサノバっぽいのもいろいろ作ってますけど、もう70歳は超えてます。
彼の音楽は、本当に、リゾート地で聴きたいような、自然の木々や花や海や太陽の光、または霧などの「匂い」とでもいいましょうか、そういうのを表現したら右に出るものがいないと思うんですけど、曲によってはあのウィスパーボイスでアンニュイさが増し、眠くなることもあります。
アルバム「アバンダンド・ガーデン」(1995年)が良くて、その後「ベアフット・オン・ザ・ビーチ」(1999年)を買ったものの、これがどうも当時のわたしにはちょっと退屈で、それからずっと遠ざかっていました。
今はどうかな…
アルバム「Time together」(2011年)が、一番最近だったので、それを聴いてみることにしました。


いやー、すごいな。
CDをセットして目をつぶると、「Now that the summer's here」
そこはもう、緑に小鳥さえずる、目の前に透き通った海が広がるリゾート地です。
(目を開けると、とっ散らかったウチのリビングに引き戻されるので、慌ててまた目を閉じる)
昔に比べてちっともパフォーマンスが落ちてない。共演スタッフがとても豪華なメンバーで、安定感抜群!でした。
各曲を別々の人にプロデュースしてもらってて、主にギル・ゴールドステインとチャック・ローブがやってますけど、その並べ方もバランスがいいと思いました。
ボッサ的な曲、ジャズよりの曲、ラインナップも、マイケル・フランクスの中でもマイケルらしい、悪く言えばいつも通りといえばそうなんですが、構成もよく考えてあり、なにより良い音で飽きさせないです。年齢を重ねたとはいえ、そもそもがウィスパーボイスなので、あまり難もないし。わたしは特にギターがめっちゃ良いと思いました。
この人は、本当に「空気の匂い」を表現するのがうまいなぁ。休日の遅めの朝ごはんのときに聴きたい。または、夜、リラックスしたいときお勧めです。


「Time together」というタイトルと、アルバムのイラストについても、ちょっと感銘を受けました。このへんは、彼の歌詞ともからめて、次回もう少し書こうと思うので、よかったらもうしばらくこの話題におつきあいください。

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レモンシロップとレモンカード

‘レモンシロップ’作りたて 3月12日
レモンシロップ2016-1
Almíbar de limón que hice


この冬から春にかけて、レモンを買ったり、家で実ったという無農薬のものをいただたりで、どうやって消費しようと思っていました。
4個くらいは、以前も作ったことがある「レモンカード」(レシピもあります)を作って、パンに塗るなどして、ちびちび食べています。

‘レモンカード’
レモンカード2016
Crema de limón... la como con pan para desayuno. Sabe agridulce, pero la receta es muy parecida a mayonesa, en vez de aceite y vinagre y sal, se utilizan mantequilla y limón y azúcar.

せっかくの無農薬だし、贅沢な使い方もできるし…と思って、ほかに作ったのがレモンシロップ。今年のはじめ、街中のカフェで飲んだレモンスカッシュがとても美味しかったのですが、そのとき、お店の人が、オープンタイプのバックヤードで取り出した保存用ガラス瓶には、たっぷりのシロップ(色は褐色がかってた)と、底に沈んだレモンの輪切りがあって、その輪切りとともにグラスに入れて炭酸水を注いでくれたんです。酸味が立ちすぎず、コップの底の輪切りレモンにもう一度水を注いでお代わりしたいくらいでした。

あれが作りたいな。
でも、どうやったら、レモンに対して、あんなにシロップが多くできて、レモンの風味はしっかりあって、輪切りレモンがもうすっかり甘酸っぱくなるほどにおいしくできるんでしょう。
家でそれを考えて、とりあず実験的に作ってみたのが、写真の瓶のものです。もう、水に砂糖をすっごい入れて煮立ててシロップを作り、そこにレモンの太い輪切りを入れただけです。冷蔵庫に保存しながら、たまに出しては様子見で味をききました。
もう、一週間くらいで、レモンの風味も少しの苦みも、ゆたかに思いました。
一ヶ月経ちましたが、特に悪くなることもなく、普通に飲んでます。日が経つにつれ、だんだん皮の苦みが強く出てくるんですが、これはこれで、大人には悪くないです。子どもがいるんだったら、量の半分はレモン汁だけにして、輪切りレモンを減らしたら苦みが減るかな。レモンはだんだん沈んできて、柔らかくなり、甘味を吸っていますが、今後、どの時点かでは、取り出したほうがいいのかなー。もうしばらく様子を見ようと思います。


‘レモンシロップ’1ヶ月後 ちょっと飲んじゃったけど(^^)
となりはジャンジャーシロップ
レモンシロップ2016-2
Hace 1 mes, poco a poco las rodajas de limón se quedan hundidas

これから、暑くなるので、レモンシロップもジンジャーシロップも、炭酸で割って飲むことにします。(冬は冬で、ホットもよかったです)


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| デザート保存食作り dulces etc. | 16:55 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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今日の陶芸

‘春の教室外観’
陶芸160409
Detrás la casa de la clase de cerámica, un árbol de cerezo estaba florecido todavía. Todas las plantas hacen colores suaves en cada brote y cada flor, siento la llegada de la plena primavera.

前回作陶した人形や、絵付けした茶碗が上がってこなかったので、今回は受け取る作品がありませんでした。せめて素焼きの人形が上がってくれば、絵付けできたはずだったけど、持ち越しになったので、次回は、作陶よりも絵付けや釉薬掛けに時間をたくさん割くことになりそうです。
作品写真がないので、春らしい教室の庭でも貼っておきます。木々の芽吹きや桜の花が柔らかい色を作り出して、きれいだなと思いました。

そんなわけで、ちょっと思っていた展開にならなかったので、引き続き飯椀を作ることにしました。今回は、古陶(細)土で2つ。古陶は、比較的白い土で、それなりに砂も混ざっているので、わりと成形しやすいです。磁土でいくつか飯椀を作ったので、今度は陶土で作って、釉薬掛け分けで色を付けようと思っています。わら白+鉄釉か、黄瀬戸かな。



| 陶芸 ceramicas | 18:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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100分de名著-「人生の意味の心理学」アドラー

‘桜の季節’もう4月。あっという間ですね。
桜2016-14
Ya está lleno de flores en Hiroshima.

心理学の本は、難しそうで読まないけど、人の心理には興味があるので、こういう形で番組にしてくれると、とてもありがたいです。Eテレ「100分de名著」でアドラーを取り上げていたのは、2月放送分だったんだけど、わたしはテキストを読みつつ、3月に録画で見たので、ちょっと遅くなってしまいました。そしてさらに、感想を書けそうなほど、簡単にも思えず、まとめられない…と思いました。つまり、要約してあるテキストですら、わかったつもりでも、まだわかってない感じがするんですよね。これは、本編を読んだらわかってくるんでしょうか。
こんな状態で、ここに書くのもどうかと思ったんですが、書かないとすぐに忘れるので、まとまらないまま忘備録的に書きたいと思います。


アドラーの心理学は、個人心理学と呼ばれていて、人間の悩みの全ては劣等感から来ているのだ、というもの。わたしが若い頃、ちょっとだけ何かの学習で登場したフロイトが、やたら性に関連づけるのを思い出したら、あれよりはこちらのほうがずいぶん納得できるような気がしました。
一見、優越感からと思えるような行動や言動も、優越コンプレックスと呼ばれる劣等感からきていて、たとえば「いじめ」とか、「オレはまだ本気出してないだけ」とかも、その類だし、人を苦しめているものが劣等感であるという考え方は、全ての人に心当たりがあるものだろうと思いました。けれど、他人にはあまり突いてほしくない、認めたくない部分のことを言っているので、自分の心に向き合って、客観的に自分を見たい人でないと、けっこうグサッと刺さる内容のような気がします。弱い自分を、仮の優越感で何重にも武装している人だったら、この考え自体を否定してしまいそう。


ほかには、「過去の経験は、『決定因』ではない。」という考え。経験の中から、目的にかなうものを見つけ出して、それを理由にしたがるけれど、そうすることで、自分の責任を曖昧にしたいだけだ。人の行為は、原因によってすべてを説明し尽くせるものではない。
この考えから、「なぜ?」と原因を考えるのではなく、今こうなっている目的は何なのだろう、と考えることになるんですね。
アドラーは、未来に起こることによって、過去の意味は変わる。また、過去をどう意味付けるかによって、未来も変わると言っています。

ここらへんで思い出すのが、以前、同じ番組でやった「夜と霧」のフランクルですが、同じオーストリアの、同じユダヤ系の、同じく精神科医だった。どうも、言ってることに共通点があるなーと思ったら、彼はアドラーに師事していたんですね。
フランクルの、
「あなたが自分の人生を問う必要はなく、逆に、いつも人生のほうからすべきことを問われているのだから、それを発見し、全力で応えるだけでいいのだ。」
というのって、アドラーの言ってる
「何が与えられたではない、それをどう使うかだ」
と同じですよね。
「どんな状況にあっても、最終的にどういう態度でいるのかは、自分で選択することができる」
も、ふたりとも言っていますし。

でも、もし、今本当に「こんな人生、なんの意味が?」と思って、未来に光がちっとも見えないなら、フランクルのほうをお薦めしたいです。元気が出ます。アドラーは、なんだかちょっと劇薬っぽい匂いがします。グサッときても、受け止める元気が必要なんじゃないかと。


わたしは、このテキストから、アドラーって、組織のリーダーになる人が読めばいいんじゃないかな…と思ったんですが、それは、いろんな対人関係を持つ立場の人が、客観的に自分を見つめて、冷静に相手に対処できそうに思ったから。
ただし、アドラー心理学のことを、ちょっとかじったくらいでそのまま部下などに、「おまえは今、そういう心理で言ってるんだ」など、ダイレクトにうんちくめいた感じで言ってしまうと、かえって取り返しのつかない関係になってしまいそうだな、と思います。心理は無意識のものなので、不意打ちで無意識の人の内面に切り込むようなマネしたら、その後はないですよね。


アドラーの考えで、どうしてもいまひとつピンとこなかったのが、「共同体の一員」という考えで、これがなんとなくモヤモヤしてるところです。宇宙の、地球の、日本の、この自治体の、どこかの会社の、またはなにかのクラブの、友達の中の、夫婦間での、とか、いろいろな共同体があって、その一員として、人のために貢献することで人間は幸せになれる(…だったかな。)と言ってるのですが、建前としてはわかるような気もするけど、これが悪用されると、全体主義になってしまって、いいように政治家に牛耳られるようなことにならないだろうか…とか、つい考えました。もちろん、そういう意味ではないと書いてありましたが。
まあ、ほめられることなく、ごほうびがないのにがんばらなくてはならない局面のほうが人生では圧倒的に多いのだから、そういうのがないと行動できない人が、幸せになれないのはわかるような気がします。他人が自分をどう評価するか、じゃなくて、自分自身が貢献することによって、自分で自負を持つということでしょうか。たしかに、これをみんなができると、いい世の中になりそうですけどね。でも超難しそう!
…つまり、なんとなくこのあたりは、理想的すぎて、ついていけないのかもしれないです。


ほかに、子どもの教育について、「ほめない。感謝のことばで返す」など、まだまだ、いろいろあったと思いますが、とりあえず、テキストとテレビを見たらこんな感じでした。今、書店でアドラーに関する本がいろいろ出ているそうなので、読みやすいのがあれば、ちょっと手に取ってみたいなと思います。




| 日記・つぶやき diario | 11:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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