PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

100分de名著を振り返って「苦海浄土」

‘この写真も本文となんの関係もないですが’ 若い緑が美しかった。
緑170109-2

前のログに引き続き、遅まきながら100分de名著を振り返ります。
苦海浄土(2016年9月放送)〔石牟礼道子著〕は、この番組で取り上げられるまで、その存在を知りませんでした。
だから、特に興味もなく、テキストも読まないで暇つぶしに番組を見たのが初めです。

のっけから、水俣病患者の心情を語った内容だったので、正直なところ、最初は心理的に遠くて、少しおっくうだな…と思いながら見はじめました。
ところが、番組内で紹介された、著者の短い文章が、ものすごく切なく美しくて、かつてこんなに胸を打たれる文章って、読んだことあったかな?と思うくらいで、ちょっとびっくりしました。
テキストの解説にもありましたが、「美し」は「かなし」とも読む。ということが、こんなに胸にストンと落ちるなんて。著者は、この著書を、ドキュメンタリーでも小説でもなく、詩だと思っている、と言ったそうですが、部分的に取り上げられた箇所だけ読んでも、そうなのかもしれないと思いました。

まだ、番組を見てテキストを読んだだけなのに、以下、まるで、著書を全部読んだかのようにいろいろ書いてしまうのが申し訳ないのだけど、テキストだけでもそれだけのインパクトがあったのは確かです。

言葉を伝える手段を失った水俣病患者の心情を、著者の感性を通じて紡いだ言葉は、少しだけ読んでも、ひとつひとつが重いだけでなく、心の芯にまで深く迫ってきて、患者とその家族のリアルな状況が理解できるのはもちろん、魂からのメッセージがすごいと思いました。(番組では、夏川結衣さんの朗読もすばらしかった)
テキスト解説で、「この本は、一度に読み終われないかもしれない。が、読み終われない本があってもいい。」という旨が書かれていましたが、詩だったら、短文でも、簡単に早く読み進められないものですよね。そういうことなのではないかな、と予想しています。

患者を巡る過酷な現実を描いている断片も、なんというか、涙でできた水晶や真珠がきらめくように美しくて、なにか尊いものを感じます。
水俣問題をめぐるニュースは、時々目にすることがあったけれど(終わってないので、これからも目にするでしょう)、日常に飛び込んでくるニュースだけでは、この本が描く世界のように見ることは、到底できませんでした。

この本には、フランクルの「夜と霧」と共通してる部分があるんじゃないかな…(と思ったら、テキストにもそう書いてありました)。
「夜と霧」はナチスの強制収容所でのお話なので、全然舞台は違っているけれども、巨大な政治的思惑から理不尽に虐げられた人々の話だということは同じです。どちらも、大変重く暗い題材を語っていながら、絶望の中に、バラ色の光、または涙を照らす光が差し込むような、圧倒的な美しさと温かさがあると思います。
「夜と霧」は、低迷している自分をとても勇気づけてくれた本でしたが、「苦海浄土」もまた、そういう匂いがすると思いました。どうして、こんな悲しい、理不尽に耐え忍ぶ人々のお話に、心温まったり、勇気づけられたりするんでしょうかね。
自分なりに答えを探してみました。

生きていると、しばしば理不尽なことに出会うもので、怒り、悲しみ、諦め、孤独を経験することになります。でも、お話の主たる人々は、自分の運命を悲しむでもなく、ましてや誰かを呪いもしないのです。苦しく悲しい中にも、移りゆく自然の美に感動できる感性を持っています。
きっと、そういうところがすばらしくて、勇気づけられるのではないかと思います。

原著を見かけたら、ぜひ読んでみたいです。

| 日記・つぶやき diario | 00:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://hanautade.blog46.fc2.com/tb.php/1390-01b4f638

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT