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漫画で母の昔をたどる

‘この世界の片隅に’ 中巻
この世界080814
En un rincon de este mundo /Fumiyo Kouno
Es una historia de la ciudad Kure en la 2a guerra mundial.
Kure era una ciudad de puerto naval y los habitantes sufrieron por bombardeo en 1945. La heroina vive con animo y esta lleno de vida aunque esta en la adversidad.

こうの史代さん著「この世界の片隅に」
1943年くらいから終戦のころのお話で、舞台は呉です。
まだ完結していないので、これからどう展開するのか知りませんが、興味深いのは、あの時代の「生活」が、ひどい倹約生活だったにもかかわらず、それが主人公の希望を持った魂とともに描かれているので、どういう非常時にでも日々の生活と小さな喜びはあるんだな。と、なんとなくホッとするような形で描かれています。実際にうちの母が、この時代小さな子どもとしてこのお話のすぐとなりにいたので、当時の彼女のまわりを確認していくような、不思議な気持ちで読んでいます。

主人公「すず」が嫁いだ家の設定場所が、わが実家の墓があるお寺にとても近いので、お盆の墓参りの折りにストーリー(単行本中巻までですけど。)を思い出しながら、自宅から公園、当時の遊郭までの主人公の足跡など、実際の距離感を感じることができました。
これまで母が何度も、終戦の年の呉空襲の話を、とても幼い頃の記憶から語ってくれたのですが、取り留めがない上に現在とは異なる古い地名や丁目で答えてくれるので、おそろしい話だとは思ったものの実感するには難しく、まあ、こちらもあまりマジメに聞いてなかったんですよね。
いい機会なので、また話をきいてみることに。

母の話によると、朝日町遊郭は現在の医師会病院の近くにあったとのこと。今病院がそこにあるのは、当時の遊郭の存在と関係あるだろうと言ってました。つまり、置屋の女性たちが病気を移さないように診てもらっていたらしいです。
主人公すずの住んでいた場所は焼けずに残りましたが、坂を下りたもう一つ南の筋までは燃えてしまい、そのあたりに私の父の家はあったのでした。(父は疎開してて、空襲に遭ってない。)
一方、母の家はかなり街中の商家で、海軍さんたちでにぎわう場所だったけど、最寄りの防空壕はそれより東側の和庄地区に決められており、ちょっと遠かった。空襲当日、母はそこに逃げるのに間に合わなかったそうです。それでしかたなく、途中のもっと簡易的な防空壕に逃げ込んで、終わって出てきてみたら、当初目指した防空壕では煙でほとんどの人が亡くなっていたんだそうです。そこで一部生き残った人たちは、土を掘って顔を埋め、わずかな新しい空気を吸って助かったとか。でも、そんなときでも泥棒はいるらしいですね。
今回は話しませんでしたが、以前話してくれた時、たしか、その後たくさんの遺体(防空壕を掘って出た土が盛られて山になっていた斜面に、一面に並べられていた)はトラックで運ばれて行ったけど、基本的には家族を自由に荼毘に付すことは許されてなかったようなことを言ってたと思います。母は、その時、その防空壕で姉を亡くしたのですが、祖母が「やっぱり自分のところで骨にすべきだった、(死んだ娘を)早く連れて帰ればできたかもしれないのに。」と後悔してたとか、聞いたことがあります。

いつものとおり、場所についてはピンポイントではわからない説明だったものの、家に帰って、地図をたどると、だいたいこの辺だろうなあというのがわかってきました。
それにしても、この空襲のおかげで、両親とも失ったものは大きかったな……と今更ながら少しは実感することができました。

追記:2016.11.26
その後、また聞いたら、違う部分があったので訂正します。街中にあった簡易的な防空壕は、もう近くの電信柱が倒れてきそうで危ないと思ったので、そこの主が「ここに入る?」と聞いてきたとき、「入らない」と答えたとのこと。結局、そこの人たちと、母のすぐ上の姉と一緒に、二河の防空壕まで逃げたそうです。(家から2kmくらいある)
和庄の防空壕から出されて並べられたご遺体は、ほとんどが煙による窒息死で、中にはみかけも煙で真っ黒になっている人や、見るに辛い見かけの人たちもあったといいますが、亡くなった姉は、壕の奥のほうで見つかったとのことで、鼻血が出ているくらいで、きれいな死に顔だったとのことです。トラックで運ばれて行ったまま、たぶん遺骨はもらえてないんじゃなかったかな。

| 日記・つぶやき diario | 21:31 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

呉市医師会病院は…

おっしゃる通り、遊郭の女性のために性病科と産婦人科を
行うための県病院でした。戦後、赤線の廃止で需要がなくなり、
医師会へ払い下げになりました。

なお、かつてあの付近にはヤクザ関係者も多く住み、
戦後、呉市医師会病院の南側の境川周辺でヤクザのお葬式が
行われた時には境川沿いに黒塗りの車が並び、
後年東映ヤクザ映画でその様子が再現されたと
先輩の看護婦から聞きました。

| 三原市民 | 2016/11/23 22:59 | URL | ≫ EDIT

情報ありがとうございます

「この世界の片隅に」のおかげで、戦時中の呉の様子を少しでも知り、肉親の子ども時代をたどれることに喜びを感じています。こうして他の方からも聞けるとは。
どうもありがとうございます。

| sue | 2016/11/24 20:25 | URL | ≫ EDIT















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