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 情報か物語か2(絵を描くこと)

日の出前20172

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 「情報」は、消費の対象でしかなく、古くなったら捨てられる
 「物語」は、わたしのために準備されたもの。読んだ後は、もう読む前に
 戻れないようなもの

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前回、この言葉で、以前から自分の中にあったモヤモヤが説明でき、すっきりしたという話を書きました。
今回は、消費の対象になる絵と、物語としての絵の話を書こうと思います。


とある印刷会社で数年経ちました。(今後のことはわからない)
紙面を組んでいると、イラストが必要になることも多いです。
この職場に来てしばらくは、慣れていないせいもあって、会社にある素材集の場所がわからなかったり、フリー素材イラストのサイトもたくさん知らなかったりで、でも、最悪自分で描けるから、そんなに不安はなくて、どうにかこうにかやっていました。
でも、時が経つにつれ、フリー素材イラストを使うことがどんどん増え、オリジナルで描くことはどんどん少なくなりました。扱うチラシやパンフなどの物件によって、いろんなテイストのイラストや写真があるべきだし、何よりめまぐるしく消費される感がすごくて、自分の絵にこだわる意味があまりないことが多いのです。自分で描くのは、ある程度サイクルが長くて思い入れのある物件や、テーマが特殊でフリー素材にはないものなどです。

先日、わたしのオリジナルカレンダーの御礼をブログで書きました。その中で「職場の仕事で作るのと、自分のプライベートで作るのとでは、意味が全然違う」と言いました。仕事で求められるイラストと、プライベートで作るイラストの意味が違うことは、以前から感覚的にはわかっていましたが、どう違うのか、意識的にことばにして説明することはなかなかできないままでした。仕事で頼まれたら、それはそれで楽しく描いていたのだし。
でも、今のような状況になって、冒頭の「情報と物語」の文を見て、「そうか。それだ。説明できるな。」と思いました。

やっぱり、仕事では「商業的な目的が伝わってなんぼ」なので、端的に理解できる情報イメージが必要なんですよね。フリー素材イラストの世界の中に、有名なイラストレーターもいますけど、その人のイラストって、やっぱり「情報」としての描き込みと省略が巧いなぁ、と思います。あと、汎用性が高い。
対して、商業用でない、個人の作品として描いたものは、軽いイラストから、芸術作品に至るまで、少なくとも作者の頭の中には物語的なものがあると思います。それを見る側が共感するか否か(=「自分にとっての物語」を感じ取るか取らないか)で、評価が分かれることになるんでしょうね。
ここ数年、特に思うんですが、昔よりもっと、「物語性」に人々は惹き付けられているような気がします。単なるきれいさやかわいさじゃなく、何か物語のエッセンスがあると、自分の記憶の切れ端にむすびついて共感しやすくなり、自分のものになりやすいんでしょうね。(わたしの場合、毎年のカレンダーの題材を考えるとき、そのへんを考えると、ほんとに悩むことになるんですけども。)
消費される情報の量がおそろしく増えた今、そっちとは対極にある方に惹き付けられるのかな。塩せんべいばっかり食べてたら甘いお菓子が欲しくなるみたいな。

また、この2つを扱うお金の価値とでもいうんですかね。それも大きく異なります。
二十数年前なら、情報としての絵も、それなりのお金のやりとりがあったと記憶していますが、今となっては、当時よりはるかに素晴らしいのがタダで手に入る時代になってしまいました。何時間もかけて起こした絵が、ほとんどお金にならないです。情報的なイラストの世界に流れるお金はものすごく縮小してしまいました。
それでも、少しは需要があるのかな。きっとフリー素材サイトにタダで提供しているイラストレーターは、それを足がかりに、有料の注文を取ることを目指していると思います。(でも、副業的かもしれない)
物語としての絵は、「わたしのために準備されたもの」と思わせるものなので、そうと認められれば、お金が発生するときは、もっと大きくなると思います。いつも自分のスタイルで、ギャラが高いイラストレーターさんがいたら、こっちのカテゴリだと思います。
物語としての絵を描いて、認められた実感の持てるギャラ…ウットリですね。でも、こっちは、差し迫った需要がないあかの他人に、ビビッと電流を走らせないと認められないのだから、どんだけ難しいか。

ここまで2つの違いを言いましたが、置かれている場所は違っても、絵は絵なので、商業用として消費される絵やイラストの中にも、時にはそれが後に「作品」として残ることがありますよね。それは絵の力というか、見る人の多くが、絵の中に物語性を見いだしたのだろうと思います。
あと、さきほども言ったように、最近は、ますます人々が物語性に惹き付けられているせいなのか、情報である広告にも、物語性をまとわせることが多くなったように思います。テレビCMを見ていると、こちらに記憶をリンクさせようとするストーリーが多いかなと。そのほうが印象に残って、結果情報を伝えられるんでしょうね。個人的には、80年代〜90年代前半とかによくあった、ビジュアルセンス重視・不思議な印象を残すCMとかも好きでしたけどね。

2回にわたり、歴史と絵のことについてたくさん描きましたが、情報と物語に分けて分類できることって、これだけではないような気がします。誰かと同じ話をしていたはずなのに食い違うことがあったりしたら、この2つを出してあてはめてみる価値がありそうです。

もしここまで読んでくださった方がいたら、ほんと疲れさせましたね。ありがとうございます。

| 日記・つぶやき diario | 00:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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情報か物語か1(歴史と文学)


20171217夕暮れ


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 「情報」は、消費の対象でしかなく、古くなったら捨てられる
 「物語」は、わたしのために準備されたもの。読んだ後は、もう読む前に
 戻れないようなもの

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この言葉は、ずいぶん前になりますが、Eテレ「100分de名著」の、「歎異抄」に出てきたものです。
一昨年前に放送があり、昨年再放送がありました。どうやら人気があってアンコールされたみたいです。
なかなかおもしろいお話で、浄土真宗の考え方を、少しはわかった気がしたものですが、なぜかブログにも感想などを記録しておらず、そのままにしてしまうところでした。宗教本について、上手く伝えられないのにいろいろ書くと、あたかも信者がなにか独り言を言っているように思われそうかな、と思ってやめたのかもしれません。

そのホームページの中に、こぼれ話がありました
歎異抄の奥書には、「仏の教えを聞く機縁が熟していないものには、安易にこの書を見せてはならない」という蓮如の言葉があったため、プロデューサーさんがこの本を番組化するかどうか迷っていたけれども、釈徹宗さんの「情報と物語の違いの話」がヒントになり、番組化を決定づけることができたというものです。
その違いというのが、上記の文です。

これには、わたしも急に目からウロコが落ちたような気持ちになりました。
これまで長い間、なんとくわからなくてモヤモヤしていたいくつかのことが、「情報か、物語か」どっちに捉えるかで、説明できると思ったからです。

特に、「歴史について」と、「絵を描くことについて」、モヤモヤしていたんですよね。


まず、歴史について。
学校で歴史を学んでいたころは、好き嫌いは別にして、なんでそれを学んでいるかと言ったら、過去を学んで未来に活かすための勉強だと理解していたのだし、習ったことはテストに出るから覚えるのでもあり、それは「情報」として歴史を捉えていたのかなと思います。
そして、「歴史って、いつも勝者のストーリーだ。それ以外は敗者として消えてしまう。」と思っていました。
でも、じゃあ、それに対して、敗者を拾い上げたものはないのか?
考えて、それが文学かな?と思いました。もしかしたら芸術も、そっちのもあるかも。負けたことがあってこそ、「物語」は深まると思う。勝ってるヤツのお話なんて、物語としては、およそ、おもしろくもなんともないし、たいして参考にならないことばかりです。(ただ、勝ちたいヤツが「情報」として、勝ち組ストーリーを欲しがるというのは、ある。)
また、同じ歴史といっても、歴史を取り上げた「ドラマ」にはがぜん面白ものがあります。それは、自分の何かを投影できる「物語」だからだと思います。
小さな発見をした気がして、なんだか嬉しくなった、目からウロコでした。


さて、もうひとつ、「絵を描くこと」について「情報か物語か」の話は、また改めて書くことにします。

| 日記・つぶやき diario | 15:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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今日の陶芸

今日の陶芸ってタイトルですが、今回は、昨年最後の陶芸教室に、なんとかすべりこんだ時の記録です。11月には教室に行けなかったので、2ヶ月ぶりの陶芸となりました。
和菓子用の平皿2枚と、煮物などを盛るための浅鉢がひとつ、上がってきました。


‘和菓子用、たたらの皿’ 柿野赤土、わら白釉、電気釜
陶芸171223-1
Son los platos para los dulces japoneses, horneados por el horno eléctrico.

和菓子用の取り皿は、これまでにも数回作りましたが、そのたび、「けっこう小さかったなぁ…」と思うことが多かったので、今回、横長のタイプを作ってみました。このタイプは、うまく作らないと、焼き縮むときに面が水平にならず、置いた時安定が悪くなることがありますが、今回は、なんとか大丈夫でした。これから春にかけて、和菓子を食べることも何度かあるでしょうから、そのとき乗せてみたいと思います。


‘浅鉢’ はっさく土、鉄青磁、灯油釜 
光の加減で、違った色に見えますね。うっすらですが、赤い斑があります。
陶芸171223-2
陶芸171223-3
Es un recipiente poco profundo, horneado por el horno de queroseno.

こちらは、久々に灯油釜で焼いてもらった浅めの鉢で、煮物やサラダ、または果物まるごと盛り、などに使おうかと思っています。手びねりで作陶した形状は、なんとなく曲がっていて、あれ?こんなんだっけ?いつもの詰めの甘さが出ていますけれども、色味には満足しています。
灯油釜で焼いてもらったので、ちょっと焼き具合が還元ぽくなり、電気釜で焼いた時にはない、青味といいますか、ダルトーンな色味が出てきました。ちなみに、同じ釉薬と土で電気釜だとこんな色になります。
また、ところどころに、赤味を帯びた斑点のようなものがうっすらと温かみを帯びて、これも意外で満足したところでした。少しのいびつさはあるけど、料理や果物を盛ったときには、もっと良さが出てくるのではと思います。

本日の作陶メモ:
わあ、年越したので、もう何作ったか忘れてる。結局、年内は電動ろくろは使わないことにしたので、手びねりで、四角い小鉢をひとつ。鉄釉でさらっと絵付けをする予定。あともうひとつ、何か作ったんだけど…あ、はっさく土で、丸っこいソース入れを作りました。わら白釉の予定だったと思います。

| 陶芸 ceramicas | 12:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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カレンダー御礼

‘カレンダー1月のイラストを改変したもの’
紅白梅1月イメージ

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
ここのところ、ブログが書ける状態ではありませんでしたが、年が明けて、少し落ち着くので、思いつくことから上げていきたいと思っています。


そして、2018年のオリジナルカレンダーを希望してくださった皆様、ほんとうにありがとうございました。少しでも、どなたかの生活の一片を彩ることができれば幸いに思います。


以下、今回の経過と反省点です。
お知らせした直後は、希望はそう多くなく、ちらほらと頼まれる具合だったので、「これは前年より少なくなるかも。」と、全然あせってはいなかったんですが、気がつけば増えて、少し余裕を持たせて買っていたはずの台紙が1枚たりとも加工を失敗できない事態になり、結局これまでで一番多く作ることになりました。なんとかなったけど、来年は、予備でもう少し台紙を買っておこう…

そして、毎度のことながら、プレッシャーとの戦いとなるのが期限。毎回誰かから「もっと早く作ったら?」と言われておりますが、なぜかいつもギリギリになってしまいます。ほんとすみません。
とくに今回、2017年の年末は、平日と休日と年末の巡りが、わたしにとっては、いつもよりタイトになってしまい、29日の晩までカレンダーの紙切りと組み立てをやることになりました。天皇誕生日(祝日)が土曜日だったのも痛かった。土曜でなければ、カレンダーに集中できる日がもう一日増えてたはずなので。こんな感じなので、これも恒例ですが、年賀状や大掃除なんてできるわけがないですわね。
最近では、もう時間と体力的に厳しいので、年末のカレンダー渡し=年末のご挨拶、と捉え、挨拶は済んだということで年賀状は自分から書かないことにしています。いただいたはがきにお返事はしますけど。そういうわけなので、失礼があったらごめんなさいです。
再来年、改元後、天皇誕生日が移動したら、毎年こんなスケジュールになるんだなぁと思ったら、もっと早くとりかからなければと思いました。家の人は、「せめて、台紙の加工だけでも、夏にやっといたら?」と言ってきました。たしかに。
いつも、テーマやモチーフに悩んで、気がつけば10月くらいになっているけど、たしかに、台紙の加工だけでも済んでいたら、もう少し余裕ができるはずです。そうすれば、秋冬の美術展やイベントなんかも、機会を逃さずに済むものもあるかもしれません。…ていうか、早く配れよ。

だいたい、毎年、クリスマス前から仕事納めの日くらいにかけて、もう限界!と思いながら作ることになるんですが、それでもなんで辛うじてこれをやってるか、って、以前書いたことがあったかな。
今現在は、たまーに職場でもカレンダーの原稿を作ったりする機会があったりするんですけども、わりと自由度が少ないし、職場の仕事で作るのと、自分のプライベートで作るのとでは、意味が全然違うんですよね。ここで作るオリジナルは、たとえ失職しても、すなわち社会的な自分の居場所が見えなくなったとしても、精神的に辛うじて自分を救う灯りになる類いのものだと思います。実際、これしかやることない時期もありましたからね。(所望してくださる方々は、わたしにろうそくを差し出してくれてるイメージでしょうか。ありがたい。)
毎年、テーマが浮かばなくて「もう終わりかな…」と思うので、いつまで続くか自分でもわからないですが、灯りを途絶えさせたくない気持ちもまた本当なので、配り終わって今年を迎えられ、本当にほっとしています。ありがとうございました。




| My work 販売情報 informacion | 13:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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カレンダー製作経過

‘できあがった表紙’
カレンダー2018経過
Estoy preparando calendarios. El tema del 2018 es los dulces japoneses estacionales.

今年も、ひとり絶賛紙切り中!
できあがってみれば、今年はけっこうオーソドックスなスタイルの絵になったな…と思います。
ラインを引かない絵は、すこし時間がかかりました。来年は…画風はもう少しスタイルを変えてみたいかな。
この卓上タイプを作り始めて15年になる(途中一度、卓上でなく簡易的だったので、それを引いたら14年)のですが、毎年テーマを変えて、絵も同じタイプではなく、思いつくことがあれば描き方も実験的に変えたりしてきました。なので、年によっては、お気に召したり、召さなかったりするんじゃないかと思うんですね。(もし希望があれば、言ってみてほしいです)
でも、それにもかかわらず、なぜか注文数はほとんど増えも減りもしないでここまできました。もちろん、いつも頼んでくれる方々がいるのは確かなんですが、縁がなくなった人もいるかわりに、新しく気にかけてくださる人が現れたりして、結果的にずっと同じようなペースですね。
特に宣伝とか吹聴もしていないし、これがすなわち、目に見える、まわりの人からわたしへの応援かつ期待値なんだろうなと思い、ありがたく思います。
年末まで、もうしばらく紙切り&組み立て作業が続きます。がんばろう。

| My work 販売情報 informacion | 01:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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