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アーモンドクリームを使ったタルト

‘りんごのタルト’
りんごのタルト1-2017

りんごのタルト2−2017
Hice una tarta de manzanas, metida crema de almendra.

この春は、たいへん久しぶりに風邪を引いたり、仕事を巡って気持ちが不安定になったり、歯科に通院することになったりと、なんだか寄る年波かなぁ…と思うことしきりでした。

それらより前の話になりますが、まあまあ満足だったのが、アーモンドクリームを使ったタルトを作ったこと。
だいたい、毎年末のカレンダー作りの中で、ルーティンワークが続いてくると、逃避行動のようにお菓子を作ってみたくなるのです。でも、実際には年末にお菓子なんて作ってる暇はないし、年明けて1月も、意外とのんびりできません。2月前半は、バレンタインだのなんだので、目の前のお菓子を消費しなければならず、結局、「さぁやってみようかな」と思うのが2月末から3月になります。

それで、やっと作ってみました。昔、タルトを作ったことはあったけど、すっかり忘れてしまって、テキトーにネットの情報を見てやりましたが、案の定、いろいろ反省点が出ました。

タルト生地は近藤冬子さんの作り方でやってみました。

アーモンドクリームは
こちらの西原金蔵さんの作り方で。


タルト生地を空焼きするか、アーモンドクリームと一緒に焼くか迷いましたが、今回は、りんごをのせてからも焼くので、生地とクリームは一度に焼くことにしました。(結果的に2度焼くことになるので)

反省点:アーモンドプードル入りの生地はもろく、完全に冷やされないうちに底板をとろうとすると、こわれました。完全に冷えてからとるほうがいいけど、さらに、型の中にクッキングシートを置いたほうがいいと思いました。
でも、そもそも、アーモンドクリームを詰めて焼くのだったら、もっと固い生地にするほうがよいんだと思う。西原さんのタルト生地のレシピの方が、固そうに思えるので、次回は、生地もクリームもそちらで試したいです。

次回への課題
・次回は、タルト生地にアーモンドプードルを混ぜないレシピで。
・念のため、タルト型の底に、オーブン用の紙を丸く切って敷く。
・りんごだったので、生の生地にアーモンドクリームを詰めて二度焼きしたが、
 タルト生地としては、もう少し焼いてもよかった気がする。
 空焼きしてから詰めた方が、あるいは良いかもしれない。


‘いちごバージョン’
いちごのタルト2017
Utilizando resto de la masa, hice una otra. Creo que este tipo cae bein las frutas un poco agrias.

りんごのタルトで残った生地を空焼きし、それを冷凍しておいて、後日アーモンドクリームを詰めて焼いたもの。これだと気楽でした。
乗せるフルーツは、酸っぱいほうがよくて、りんごの時も、紅玉で、そんなに甘く煮なかったのがよかったです。いちごの場合は、乗せた後に、いちごジャムまたはいちごソースでナパージュしたほうがおいしいと思います。

| デザート保存食作り dulces etc. | 22:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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今日の陶芸

‘洋梨の容れ物’ 柿野赤土に白マット釉、果梗は並黒土+柿野赤土
陶芸170415-1

陶芸170415-5
Hice 2 peras de cerámica para poner papel que limpia polvo en ella.

今回は、作品が7つも上がってきました。作陶したのはけっこう前の話ですが、絵付けをしたり、教室に行くのと窯出しのタイミングの関係で遅くなり、今日受け取ることになったのです。重たい作品もあり、徒歩通いの身としては、とても一度に持って帰れないので、小さいのだけ持って帰りました。
明らかな失敗作や、テキトーすぎる試作といったもの以外の画像をここにのせてみます。

上の洋梨は、以前も作ったことがあったので、反省点をふまえ前回よりうまくできました。
果梗っていうんですかね、果物の軸の部分が、前回よりリアルになりました。お掃除用の不織布を入れるための容器ですが、ほかのものを入れてもいいです。これは、友人へのプレゼント用に作りました。


‘マグカップ’ 九谷土に呉須絵の具でバラの絵付け
陶芸170415-2

‘マグカップ’ 九谷土に呉須絵の具で草花の絵付け
陶芸170415-3
Las tazas para café

マグカップは、うまくできないのはいつも、取手の部分ですね…今回も、形がきっちりしていなくて、ややヒビが入っています。実は、草花の絵柄のほうは、もうひとつ作っていたのですが、取手の付け根のヒビがひどかったので、絵付けするのはやめて、鉢受け用に焼き締めました。つまんないので、写真は撮ってません。


本日の作陶メモ:
洋梨の出来に気をよくして、もうひとつ柿野赤土で作陶しました。いつも、作陶時と焼き上がりの大きさがすごく違う(とても小さくなる)ので、今回は高さと幅と重さを記録してみました。(…ってか、毎回計っとけよ。)かなり大きく作ったので、これまでで一番大きな梨になるのではないかと。あと、九谷土で、小鉢をひとつ。透明釉をかけます。


この日は、一日に何度も雷を伴う激しい雨と、晴れ間が交互にやってきて、振り回されて疲れました。でも、ラッキーなことも。教室のお手洗いに、春蘭が活けられていて、それをほめようと思ったら、先生のほうから「かわいかったでしょ?」と言われました。わたしがそう思うことをお見通しだったんですね。それで、ありがたいことに、少し春蘭を分けてもらえました。
植物は好きだけど、お庭に縁のないわたしにとっては、こんなラッキーなことは、そうそうないので、とても嬉しかったです。

‘春蘭’ 春らしいみどり色。
tougei170415-6
Las orquídeas primaverales y salvajes, florecen en montaña, y también crecen en jardines. Mi maestra de cerámica me las regaló. Me alegré mucho.





| 陶芸 ceramicas | 19:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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カルテットと、そのレビューから

‘部屋にも春を’
桜とフリージア2017

ドラマ「カルテット」が、先週終わりました。最近見たドラマの中では、群を抜いて個性的で好きなドラマでした。
ひとつひとつのエピソードと台詞にいろいろ暗示や恣意が含まれていて丁寧で、4人の俳優さんたちが、演技でないくらい上手かったし。毎回、名言が登場して、その度に感心していました。
大人の恋愛サスペンスというふれこみだったけど、とんでもない展開にハラハラさせるのに最後はとても優しいメッセージに着地して、もう、恋愛とかを超えた世界になっていたかな。


けっこう、突いてると思ったレビューがあったので、のっけます。
リアルサウンドの記事ー『カルテット』最終話で真紀が“こぼした”ものとは? どこまでもグレーな結末を読む

この記事の中で、わたしが大きくうなずいた箇所が2つありました。
「白黒つけたがるときは、往々にして相手を糾弾したいときだ。味方でいる分には、白でも黒でもそばにいることには変わらない。」
「自分が手放した道を進む人は眩しく見える。」
です。

以前、カントのことを書いた時、「若い時、全てに白黒つけられないものかと思ってたが、それは自分のエゴだった」と書いたのですが、白黒つけない優しさこそが、お互い過去に傷を持つカルテットのテーマのひとつなんですよね。
「だが、相手をグレーのまま許容するのは、決して簡単なことではない。」とあるように、普通の友人関係では、だいたい無理なんじゃないかと思います。カルテットの4人は、その簡単でないことが乗り越えられていて、それは運命的なことでもあったけど、家族のようなこのつながりが保たれているのは、個々がそれぞれ自分の欲求を二の次にしても相手を思いやっているから。実際には、こんなふうに「大人」でいるのは難しいと思うけれども。

2つ目の「自分が手放した道を進む人は眩しく見える。」は、本当に人間の心の闇ですよね。
「手紙の送り主。きっと安心したいのだろう、自分の選択肢は間違っていなかったのだ、と。」たぶん、手紙の主だけじゃなくて、きっと有朱ちゃんもそうだったのではないかと思います。最後に彼女が「人生ちょろかった!」と4人の前で勝利宣言のように言うのは、「勝ったのは私。ほらごらん、まちがってない。」そういうことでしょう。でも、老いとともに、人生はちょろくなくなるので、彼女がバカバカしいまぼろしと思っているカルテットの夢のように、彼女のステキなちょろい人生もまた、まぼろしのように儚いものになるんでしょうね。
話は逸れるけど、これ、女性同士の嫉妬や確執も、だいたいこれから来ていると思う。
日本の社会では、仕事、結婚、出産の過程で、どうしても女性が選ばされている。手放さざるをえなかったものは、もう次に手に入れることができないか、大変難しい。もう取り返せないほうを肯定的に歩む人を見ると、心がざわつき、不安になる。だからせめて、自分が間違ってないと言って安心したい、という心理ですね。
(ただ、自分が手放した道を進む他人は、自分が手に入れたほうの道は、たいてい手放しているんだけどね。)
これは社会の構造の問題なので、女性同士の問題だと、他人事に思ってる男性がまだまだ多いのが残念だけど。
話が逸れましたが、男性にも、こういう心理はどこかにあるんじゃないですかね。

あと、「直接には役に立たないかもしれないけど、好きでやっていることへの讃歌」というテーマもよかったです。
ふだん、うまく回っている時には気づきにくいけど、仕事から、社会から見放されたと感じるとき、見捨てずにじぶんの味方になってくれるのはいつも、「役に立たないけどいつもやっていること」です。まわりからの援助や助言で救われることもあるかもしれないけど、最終的には、自分がいつもやらずにはおれないこと…家事でもなんでも、案外つまんないルーティンなど、自分でしたことに救われるのです。
最終回の、唐揚げに添えられるパセリのくだりは、たいして役に立たないけどあったほうがいいものとして、突いてるなあと思いました。

ドラマを見て楽しみ、ネット上では他人のこのドラマの見方を楽しんで、2度おいしいドラマでしたが、ゆっくり何度か見返してみたら、さらに味わい深いドラマだろうなーと思います。見返す時は、きっと、何気ないシーンのほうが、ぐっと心に迫ってきそうです。


| 日記・つぶやき diario | 16:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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今日の陶芸

‘マグカップ(素焼き)’この上から絵付けします
陶芸170325
Hoy he dibujado en 2 tazas.

今日は、完成品はなにも上がってこなかったので、前回撮った、素焼き状態のマグカップでもごらんください。
その日は他の作業に追われて、絵付けできないまま終わったので、今日絵付けをしました。古代呉須という色の絵の具(紺色)で、花の絵を描きました。
マグカップは3つあったのですが、ひとつは取手の付け根にヒビがあり、そいつは使えないので、それだけ焼き締めてもらって、植木鉢に利用することにしました。ムダにあがいているような気がしますが、なんか、すぐには捨てられないんですよね。

本日の作陶メモ:
久しぶりに、オーバル型の皿を、柿野赤土で手びねりで作陶しました。先日、オーバル皿って使いやすいのに、あまり持ってないかも、と料理本を読んでいて思ったのです。たぶん、黄瀬戸釉をかけて、鉄釉とかで簡単な絵付けをすると思います。
他には、前々回に作陶した洋梨の小物入れに、白マット釉をかけました。
あと、前回の花入れに、透明釉。これは、表面に、たいへん薄い透明釉を、スポンジで少し染み込ませてみました。さて、どんな感じで出てくるでしょうか。

教室には、バイモの花が活けられており、春らしいなと思いました。先生は、この花がお好きとのことで、「貝母」という字とか、昔の思い出とかから、お母さまのことを連想する、とおっしゃっていました。
花言葉は「謙虚なこころ」だそうです。次回、またカップを作陶することがあれば、灰緑色で、バイモの絵もいいかもしれないな、と思いました。さりげない絵のほうが、陶器にはいいもんだと思います。

| 陶芸 ceramicas | 00:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ランス美術館展

‘ひろしま美術館の看板’
ランス美術館展ひろしま
Fui a la exposición del museo de Reims (Champagne, Francia) en el museo de Hiroshima. Hubo diversos tipos de cuadros en la colección del dueño de companía de vino. Me gustó un cuadro de Paul Gauguin. En la ciudad de Reims, hay una iglesia que hizo Leonard Foujita, un pintor japonés, él terminó su vida ahi. Viendo sus obras, me puse un poco triste por imaginar su corazón. Él no traicionaba ni engañaba a la gente japonés, pero Japón le trató mucho frío. Siempre las guerras cambian el destino de gente. Deseo que acabase su vida felizmente en Francia.

自分で制約を課しているのだから仕方ないといえばそうだけど、ここ数年の単調な生活に、ちょっと閉塞感が大きくなってきました。この連休、どこか行けないかな〜とか思って、1月末から2月ごろ、ちょっとネットで情報を調べたりしていたのだけど、どこに行くにしても、宿も数年前よりずいぶんとりにくくなっているな…という印象でした。お金に糸目をつけないつもりなら、それはいつでも簡単だし、また、旅慣れている人なら、最近の雰囲気や情報もわかるでしょうけどね。
決めきれないで、うかうかしているうちに、ひごろの陶芸教室でさえも、まさかの予約取り損ね。何やってんだろ。こまめさが足りずトロい自分に、まったく嫌気がさした連休でした。

とにかく、何か気分転換しないことには、どうにも気分が収まらなかったので、ひろしま美術館で開催中の「ランス美術館展」に行ってきました。
ランス美術館は、フランスはシャンパーニュ地方の、もと修道院だった建物を利用した美術館です。シャンパンメーカーのポメリー社の、アンリ・ヴァニエが、コレクションをランス市に寄贈してできた美術館だそうで、イタリア絵画、フランドル派、印象派やナビ派、ロマン主義の作品など、主に王政の時代から20世紀に至るまでの作品群を所蔵しています。
また、ランスは、藤田嗣治が、人生の最後の作品として、礼拝堂を作った土地でもあるので、それに関する作品もありました。彼と、その奥様は、その礼拝堂で眠っています。

そういうことだったので、フジタの作品が多いのかな…と思って入場しましたが、以前にも、フジタの作品を扱った展覧会は地元であったので、それに比べれば、正直作品数としては全然物足りない感じでした。
ただ、フジタの作品にふれるとき、いつも、「日本と決別する運命」のことを無視しては見られないので、日本人のわたしとしては、少し切ないような、いたわしいような気持ちになります。
今回も、人生最後の仕事として、フランスに骨をうずめるフランス国民として、キリストの生誕から復活までの物語を「描き上げたらもう死んでもいい」または「これを完成させるまでは死ねない」だったのだろうな。そう思うと、画家の執念みたいなものを、汲み取るべき習作の数々なんだな…と思いながら見ました。ランスが、晩年の彼の「居場所」だったんですね。温かな人情の土地であったことを祈ります。

だったら、テンペラ画は、やはり本物を、本場で見てみたいと思うし、ランス美術館の所蔵作品も、ヴァニエ氏が、そうとう細かい条件をつけて美術館展示に至ったとのことだったので、重厚な修道院の佇まいのなか、赤い壁紙の上に展示されているところで見てみたいです。この展覧会を見ることで、「ランスに行ってみたい。」という気持ちになりました。

今回の展示作品の中では、ゴーギャンの「バラと彫像」と、シスレーの「カーディフの停泊地」(上記ランス美術館展のリンクの中にイメージがあります)、あと、ナビ派、ヴュイヤールの小品などが好きでした。
ゴーギャンはやっぱりいいな。




| アート鑑賞 arte | 18:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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