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ひとことで表せなかった心象風景が

‘散歩日和’
河原土手170312-2
El último verano, encontré un libro en una librería,"Las palabras del mundo que no se pueden traducir en japonés direcramente", Hubo una palabra interesante para mí en él. Eso es WALDEINSAMKEIT en alemán, que signífica la soledad libre y ancha cuando se comunica con la naturaleza en bosque. Yo no voy a ningún bosque de ordinario, pero tengo memórias que me comunicaba con la naturaleza en un bosquecillo cerca de mi casa en mi infancia. Por eso, buscando unas hierbas en la ribera orilla, yo sola, disfruto sentir la naturaleza. ¿Entiendes esa sensación? Puede ser que yo fuera una alemana o finlandesa en la existencia anterior... jajaja.


子ども時代に、ひとりで近所の山に入っては、赤い椿の花を見に行ったり、ざわざわ鳴る風を少し怖いなと思いながら、でもスミレはまだ咲いていないかとかソワソワもしたり、奥の砂防ダムの裏の山蕗を見に行ったりしていました。まだ生き物が活発でない山は入りやすかったので、特に春先のことでした。
そのせいか、明るい陽が適度にあり、自然のある大変静かな空間、自分とも向き合える自由さと、独特なさみしい感じ。説明しにくいんですが、そういうものに惹かれる性分があり、そういうのだれかわかる人いるかな…と思っていました。子ども時代に、まわりにそういう人はいなかったように思います。(だから1人で行ってたというのもある。)

以前、このブログでも少し書いたように、フィンランドあたりでは、人々は夏にきのこやベリーを摘みに、ひとりで森に入るそうなので、そういう感覚がわりとふつうにありそうだとは思っていました。
そして、昨年の夏、偶然、本屋で「翻訳できない世界のことば」という本を見かけたのですが、

ぱっとページを開いた時に、
WALDEINSAMKEIT(ヴァルトアインザームカイト) 
「森の中で1人、自然と交流するときのゆったりとした孤独感」 ※ドイツ語

とあったので、「あっ!」と思いました。あれを、一言で言える国があったんだ!
なんか、うれしい。
もう、森に行く手段もないのですが、今も、毎春の川土手散策と摘み草(つくし)は、この言葉のような気持ちです。
マイ重要単語として、記録しておきます。


‘春の川土手’ 
河原土手170312-1

つくしの短い季節。
ピンクのアネモネは、民家から球根が飛んできたのか。
なぜかスイセンもあったりして、ギリシア神話つながりだな、と思った。

| 日記・つぶやき diario | 17:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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なめこは、やっぱり和なんだ。

‘なめこのバター醤油炒め’
なめこバター醤油炒め
Setas(se llaman nameko en japonés, son muy pegajosas) salteadas con mantequilla y salsa de soja

以前、ネット上に、「なめこをバターと醤油で炒めたらおいしい」という情報があって、やってみることにしました。
使ったのは、真空パウチされているものではなく、生の一株が包装されているものです。
ふつうにバターで炒めると、簡単で、とても旨味があり、あのトロトロした感じはあまり出てこなかったです。
「こんなに旨味があるなら、カレーに入れたらよくない?そもそも、とろみがあるキノコだから、カレーのとろみづけにも、一役買うかも。」
…そう思って、やってみました。なめこ入りカレー。


‘なめこ入りカレーと、自称スペイン風サラダ’
なめこ入りカレー170221
Yo pensé que, sería buena idea de hacer curry con esta seta, es que es pegajosa, así que puedo espesar la sopa de curry con esta seta. Pero, supo más a la japonesa que con otras setas. Aunque fue rico, pero eso no fue perfecto.A la proxima vez, voy a usar champiñones. Los champiñones son perfectos para hacer curry.

おいしくなくはないけど、なんか、違う…。カレーの目指すとろみは、なめこが持っているとろみとは、全く別のものでした。
なめこは、やっぱり、すっごい「和風」なヤツだった。
カレーを食べながら、
「こいつは、やっぱりカレーうどんだよ。」
と思いました。カレーうどんに入れたくなるとろみと食感なのです。
やっぱり、カレー(ごはん)には、マッシュルームとか、別のきのこだな。

後日、残ったカレーソースをうどんに入れると、やっぱりしっくり来ました。
そんなわけで、今後、カレーになめこは入れないと思います。不味くはないけど、ベストではなかったです。
でも、なめこのバター醤油炒めに、カレー粉を振ってみるのは、次にやってみたいと思います。

| クッキング mi cocina | 19:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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牡蠣とレモンのパスタ

‘牡蠣とレモンのパスタ1’ 
牡蠣のオイル漬けや、オリーブの実も入れたけど、皮つきのレモンで苦くなった。
牡蠣とレモンのパスタ1
Al otro día, preparé pasta de ostras y limón. La provincia de Hiroshima produce muchas ostras y limones. Este día, yo tenía diversos ingredientes y el plato salió bonito, pero no salió perfecto. Fue un poco amargo por el sabor del piel de limón.

先日、牡蠣のオイル漬けとレモンを使ったオイルパスタを作りました。どちらも広島の特産で、冬から春までが旬です。
レモンと油と牡蠣やチーズなどのタンパク質を合わせれば、おそらく乳化しやすくなって、美味しいかもと思いました。

それで、レモンを薄く切って、適当に散らしたパスタを作ったのが上の写真です。レモンの酸味は、さっぱりしていて、牡蠣にも粉チーズにも合いましたが、意外に苦みも強く広がって、皮はあまり入れない方がいいと思いました。このときは、黒オリーブやマッシュルーム、水菜、ブロッコリも入れて、豪華だったんですけどね。


‘牡蠣とレモンのパスタ2’ ブロッコリとカリフラワーを入れたもの。
牡蠣とレモンのパスタ2
A la segunda vez, no usé mucho piel de limón.

それで、また別の日、2度目は、主にレモン汁を入れ、皮は少しだけすりおろして入れ、最後に、薄切りを一枚乗せることにしました。
これで、ずいぶん苦みはなくなりました。
今回、牡蠣は生だったので、これをフライパンで炒り、白ワインを加えてバターも少量。別のフライパンでにんにくと野菜をオリーブオイル炒めた中に、粉チーズたっぷりと、牡蠣とその汁を投入して、レモンを搾りました。
オイルパスタですが、さっぱりと食べられました。前回より、だいぶん良くなったです。
いずれ近いうち、レモンを使って、クリームは使わないカルボナーラをやってみたいな。

| クッキング mi cocina | 20:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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干し大根のその後

‘左が熱湯に潜らせ干したもの、右が焼酎に潜らせ干したもの’
干し大根2種
Nabos secos, los izquierdos son de que se mojaron en agua caliente antes de secar, los derechos son de que se echado un poco de alcohol. Para que no se pusieran mohosos, la temperatura no bajaba mucho a comienzos de este invierno.
Nabo seco es una comida conservada, se come como cocido, ensalada, etc.

干し大根について、以前書きましたが、そのつづきです。
昨年から今年のはじめ、たいへん暖かい日が続き、大根を干すのには適さない気候になってしまいました。そんな中で、カビを生やさずに、どうやって干すかな…と考えた末、「熱湯に潜らせて干す」、「焼酎に潜らせす」の2タイプを試すことにしました。
しかし、実験を始めたとたん、急に寒波に見舞われて、とてもカビなんか生えない状況になったので、結局、この2タイプで「暖かくてもカビない」かどうかは、わからずじまい。
でも、たぶん、この2つのやりかたは、切った大根をそのまま干すより、どちらもカビにくいのではないかと思います。特に焼酎のほうはね。


‘熱湯に潜らせ、干して数日’ まるでカビてるかのよう。
干し大根熱湯1
El color de gris no es de moho.

熱湯にくぐらせて干した大根は、よく縮みました。そして、干して数日経つと、なんだか、グレーの色が出てきて、まるでカビのような色になってしまったんですが、胞子のような粉のようなものもなく、気温の低さから考えても、カビではなかったです。なんでしょうね。凍って、ゆるんだらこうなるのでしょうか。わかりません。


‘気長に干すと、だんだん茶色になる’
干し大根熱湯2
Poco a poco, desaparece el gris.

日にちが経つと、灰色はどんどん消えていきました。ただ、縮みが大きいものは、消えるのが大変遅かったです。
焼酎に潜らせたものは、乾きもわりと早く、色白に仕上がりました。

さて、味ですが、それぞれに水をかけて、戻してから食べてみると、熱湯に潜らせたほうが、甘く柔らかくて、美味しく感じました。煮物にしたら、焼酎のほうも美味しくなるかもしれませんが(まだやってない)、煮ないタイプの調理なら、熱湯のほうがおすすめですね。

ただ、「暖冬で、熱湯に潜らせた大根でも、カビさせないで干せるのか」の疑問は、確かめられなかったので、おそらく来年以降の課題になると思います。今年は、そろそろ春大根が出回る時期だし、わたしもそんなに量は要らないので、これでこの冬の実験は終了にしようと思います。

| デザート保存食作り dulces etc. | 20:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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100分de名著「野生の思考」について

‘これは野生のパンジー(Pansée sauvage)じゃないけれど’
パンジー100221


昨年12月に、番組でやっていた、レヴィ=ストロースの『野生の思考』
解説していた中沢新一さんも、web上の番組紹介でも、なかなか簡単には読み解けない本だと言っていたので、はなっから、本書の読書に挑戦しようとは思わず。
なのに、なんだかとても頭にひっかかるものがあり、もしわかったら新しい視点を与えてくれそうで、無視できなくなりました。
というのも、これまでの、自分の持っていた概念を変えさせられるお話で、ふだん、自分の考え方の、どちらかといえばよくない「クセ」だと思っていたことが、なんだ、まちがいでもないや、という安心感のようなものを与えてくれた気がするんですよね。
あと、人間の現代的考え方と、それまでの考え方を客観的に見ることで、現代の行き詰まり感から、新しい考えへのヒントになるかもしれない話を含んでいそうなお話だったからです。

それで、テキストだけ全部読んでみることにしました。
1か月遅れで、徐々に読んでいったのですが、しかし、この解説本ですら、わたしのオツムでは、ちょっと歯が立たず、4回分の解説の、特に前半は、なにを言ってるのかぜんぜん分かりませんでした。布団の中で、眠りながら読んだのもまずかったけれど、とにかく前に進めず、やっと一度読み終えて、もう一度前半を読むことになりました。
そんなわけで、ずいぶん遅れてなのですが、
「わからないなりに、気になるとこだけでも、ぼやぁっとわかった気になったことだけでも、書いておこうか。」
と思いました。自分の解釈で変換してしまった言葉も入っているので、勘違いもあるかもしれません。
それに、まとまらないと思いますけど…(だれか、わかる人がいたら、教えてほしい。)


◆未開社会の人々の思考
民族学者、人類文学者レヴィ=ストロースは、未開の地域の人々の生活を調べるうちに、彼らが現代社会に生きる人に比べ、決して思考が劣っているものではない。新石器時代から、人間の思考のしかたは、そう変わっていない、と結論づけました。
人間は、グラデーションのように、連続して途切れない、膨大な自然の要素の中から、記号のようにいろいろと抜き出して、それからさまざまなものを作ることにより文化を作り上げてきました。それを、彼は「ブリコラージュ(日曜大工)」と名付けました。
その考え方は、未開社会だけでなく、現代のわたしたちが創作するもののベースに、深くかかわっています。最初から完全な設計図を前提とする現代的なやりかたと違って、ありあわせのものを本来とは別の目的や用途のために流用したものは、「それ用」に作られたものではないのだから、必ず少しブレていて、完璧はなく、目指せば終わりはありません。
こうした、理性と感性を切り離さない豊かな思考は、解説によれば、ITの世界にも生きているのだそうです。わたしが納得した例としては、現代アートなんて、まさしくそういうものですよね。絵画やインスタレーション製作中に、「どこで終わりにしよう?」と思ったことがある人は、うなずけると思います。とても身近なところでは、冷蔵庫の中のありあわせのもので、ご飯を作るなどもそうで、クリエイティブのきっかけをつくるのって、いつもこういうことではないですかね。

◆「歴史」の概念
わたしたちが、ごくあたりまえに思っている、「歴史」の概念って、19世紀くらいからのことで、それまで重要ではなかったみたいです。それくらいの時期から、「歴史」に過度な重みを与えて、進歩や発展を言い始めたんだそうです。今のGDPとか、経済成長率とかが重要視されているのも、全部、前との比較(=歴史重視)ですね。
「常に進歩しなくちゃならない」って、どこまで行くつもりなんだろう。そして、そう言ってるけど、もう、いまのままでは、これまでの常識では進んでいきそうにない気もする、なんか、頭の隅がモヤモヤする今日この頃に、「その常識、ここ200年くらいのことですよ」と言われて、「えっ、それ、あたりまえじゃなかったの?じゃあ、そういう概念じゃない世界って?」と、ビックリしました。

◆「構造」って、何?
レヴィ=ストロースは、「歴史」の対極にあるものを「構造」だと言っています。未開人は、毎日惰性的な生活をして歴史を作らないのではなく、むしろ選んで、歴史の外に出ようとしていた。それは、彼らが歴史よりも「構造」を重視していたからだ、というのです。
では、「構造」って何?
ここらへんが、むずかしくてよくわからなかったです。形式とか、スタイルというのが近いんでしょうか。決まった婚姻パターンとか、各部族の情報交換とか、そういうのが重視されてたみたいなんですけども。(だれか教えてほしい)
現代の政治は、「歴史重視(成長重視)」のままなのですが、今後、その枠を出て、新しい概念に移ることがあるのでしょうか。こんな、未来の社会のあり方を根底から考え直すような大きな話、自分が考えても仕方ないかと思いますが、これまで触れないようにしてきたぼんやりした不安や、成長の強迫観念みたいなものがやっぱりあるから、この話が興味深く思えるんだと思いました。

◆「神話」とは
おもしろくて、ふむふむ、と思ったのは、「神話」の話でした。
神話はいつも、何か矛盾を含んでいて、善悪もオチもない話だな、と、子どものころは思っていました。でも、たいてい、自然を人になぞらえているものが多いですよね。
自然を分けたり、部分的に何かを取り出したりして文化は作られるが、それにより、文化と自然の間に矛盾が生まれます。その矛盾を、うまく説明して折り合いをつけているのが神話だということです。
神話の考えは、この世界が矛盾によって成り立っているという認識に立っているとのことなので、神々はやりたい放題だし、「なんで?」と思うエピソードでちりばめられているけど、神話を知ることによって、自然とうまく付き合い、豊かに生きることができたのでしょう。レヴィ=ストロースが、「神話は人類最初の哲学である」といったのは、そういうことなんでしょうね。

◆日本における「野生の思考」
レヴィ=ストロースは、日本に大変な興味と愛情を持っていて、日本訪問の際、職人の仕事、市場、里山などをたずね歩きました。

・ポイエーシス、用の美
陶器、木工職人たちの仕事では、よく、「この木が机になりたがっている」だとか、「無理強いせず、土の言うことを聞け」とか、聞いたことがありますが、そうやって自然に導かれるように作る考え方も、野生の思考のひとつだそうです。
人間が耕作する里山も、自然をそのままではないけれど、台無しにする設計ではなくて、そこの自然を活かしていて、手つかずの自然と人間との、共存ミックスゾーンになっています。

・自然の人間化
日本人はいつも、人間を自然に例えるのではなく、自然を人間化します。例えば、鳥獣戯画や風流蛙大合戦之図。それなら、今の漫画だって、ポケモンだってそうだということになります。自然を人間化することで、自然に親しみを感じることができますね。
テキストの中に、「人間を自然化」した絵も見ましたが、「自然を人間化」した絵に比べ、とても不気味に感じました。例えるなら、なんか、「アバター」っぽかったです。超人とか、ミステリアスに思わせる効果はあるかもしれません。

・日本の食
レヴィ=ストロースは、食事の文化にも興味を注ぎました。火を起こして、食べ物を作る行為は、自然から文化に転換する瞬間なので、かまどの回りには神話が生まれやすいのだそうです。
すっかり日本食が好きになり、亡くなるまで白いご飯と焼き海苔が食卓にあったとのこと。
日本食の特性としては、「分割主義」を挙げたそうです。
食材は混ぜずに供して、口の中で合わせて混ぜる。日本食って、「なるべく自然のものをそのまま」というイメージがありますが、分割して美しく盛る意識って、これも、人間の手を加える部分と、加えない境界線が、おもしろいなと思います。


テキストを読んで、わたしがまとめと感想を書けるのはこのくらいで、まとまりがないです。
こういう思想が、「ああ、あのとき!」と、思い起こしたり、ヒントになったりすることがあるのかどうかはわからないですが、目の前の閉塞した物事が変わらないのであれば、考え方や意識のほうを転換することが希望につながるのかな、と思いました。
とりあえず今の自分の生活に重ねて思うのは、ふだん、なりゆきで考えて作ったようなものでも、最終形もわからず手をつけはじめたようなことでも、それが特にまちがいというわけではないのだな、ということでしょうかね。「ブリコラージュ」という言葉は、覚えておこう。

| 日記・つぶやき diario | 22:43 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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